霧の中の建国秘話

 

葦(あし)田(だの)宿(すく)禰(ね)・若(わか)野(の)毛(け)二(ふた)俣(またの)王(みこ)だ。)である17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)の娘の黒(くろ)姫(ひめ)(実際は、入(いり)杵(き)尼(ね)姫(ひめ)・布(ふ)遅(じ)波(わ)良(らの)己(こと)斯(ふしの)郎(いら)女(つめ)だ。)をその先(せん)妃(ぴ)として娶って、2人の間に、そのもうけた実子としては、市(いちの)辺(べの)押(おし)歯(はの)皇(み)子(こ)(実際は、奈(な)良(ら)別(わけ)命(のみこと)・御(み)馬(まの)皇(み)子(こ)・青(おう)海(みの)皇(み)子(こ)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)や、舟(に)生(う)姫(ひめ)(実際は、若(わか)山(やま)姫(ひめ)・20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)の妃(きさき)だ。)や、太(た)姫(ひめ)(中(なか)蒂(し)姫(ひめ)・22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)の妃(きさき)だ。)たち1男2女の実子がいた、ということなのだ。そしてまた、市(いちの)辺(べの)押(おし)歯(はの)皇(み)子(こ)(実際は23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)・奈(な)良(ら)別(わけ)命(のみこと)・御(み)馬(まの)皇(み)子(こ)・青(おう)海(みの)皇(み)子(こ)だ。)こそが、その先妃(せんぴ)として22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)の実妹で異母妹の飯(いい)豊(とよの)皇(ひめ)女(みこ)(実際は青(おう)海(みの)皇(ひめ)女(みこ)・忍(おし)海(うみの)飯豊(いいとよ)青(あお)尊(のみこと)・ハエ姫・角(つの)姫(ひめ)・振姫(ふりひめ)・綾(あや)姫(ひめ)だ。)を娶った、ということなのだ。 

さてそれでは、19代反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)(実際は初代田(た)道(みち)君(のきみ)・18代履(り)中(ちゅう)天(てん)皇(のう)・奈(な)良(ら)別(わけ)命(のみこと)・御(み)馬(まの)皇(み)子(こ)・青(おう)海(みの)皇(み)子(こ)だ。)だが、『日(に)本(ほん)書(しょ)紀(き)』で見れば、和(わ)爾(に)の木事(こごとの)臣(おみ)(初代田(た)道(みち)君(のきみ)だ。)の娘の津野(つの)姫(ひめ)(玉(たま)彦(ひこ)姫(ひめ)・大(おお)山(やま)姫(ひめ)だ。)を娶って(後(ご)妃(ひ)だ。)、円(つぶらの)皇(ひめ)女(みこ)(財(たからの)皇(ひめ)女(みこ)だ。)をもうけた、というのだが、実際は、円(つぶらの)皇(ひめ)女(みこ)や財(たからの)皇(ひめ)女(みこ)とは、同一人物なのだ。また、和(わ)爾(に)の木事(こごとの)臣(おみ)とは、初代田(た)道(みち)君(のきみ)(18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)なのだ。つまり木事(こごとの)臣(おみ)(初代田(た)道(みち)君(のきみ)だ。)を去(い)来(ざ)穂(ほ)別(わけの)皇(み)子(こ)(18代履(り)中(ちゅう)天(てん)皇(のう)だ。)や、その弟の住(すみ)之(の)江(えの)仲(なかの)皇(み)子(こ)や、その弟の反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)(瑞(みず)歯(は)別(わけの)皇(み)子(こ)だ。)たち3人の人物に分離してしまい、その娘を別人の娘とする隠蔽工作なのだ。しかしながら、実際は、和(わ)爾(に)の木事(こごとの)臣(おみ)(初代田(た)道(みち)君(のきみ)だ。)の娘である津野(つの)姫(ひめ)(実際は、角(つの)姫(ひめ)ではないのだ。その実母だ。)としては、初代田(た)道(みち)君(のきみ)の異母妹の玉(たま)彦(ひこ)姫(ひめ)(大(おお)山(やま)姫(ひめ)・弟(おと)姫(ひめ)だ。)こそが、その実像なのだ。つまり異母妹の玉(たま)彦(ひこ)姫(ひめ)(実際は弟(おと)姫(ひめ)・大(おお)山(やま)姫(ひめ)・津野(つの)姫(ひめ)だ。)を、18・19代反(はん)正(ぜい)・履(り)中(ちゅう)天皇(てんのう)(初代田(た)道(みち)君(のきみ)・木事(こごとの)臣(おみ)だ。)が娶って2人の間に、そのもうけた子としては、高(たか)部(べの)皇(み)子(こ)(真(ま)若(わかの)君(きみ)・高(こう)尊(そん)王(おう)・22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)や、その妹(実際は嫁だ。)の財(たからの)皇(ひめ)女(みこ)(円(つぶらの)皇(ひめ)女(みこ)だ。)たち2人をもうけた、ということだが、しかしながら、これはもうけたといっても、財(たからの)皇(ひめ)女(みこ)(円(つぶらの)皇(ひめ)女(みこ)だ。)の実像としては、高(たか)部(べの)皇(み)子(こ)(実際は真(ま)若(わかの)君(きみ)・高(こう)尊(そん)王(おう)・22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)の実妹の角(つの)姫(ひめ)の飯(いい)豊(とよの)皇(ひめ)女(みこ)(青(おう)海(みの)皇(ひめ)女(みこ)・忍(おし)海(うみの)飯豊(いいとよ)青(あお)尊(のみこと)・ハエ姫・振(ふる)媛(ひめ)だ。)ではなく、これは嫁としてもうけたのだ。つまり円(つぶらの)皇(ひめ)女(みこ)(財(たからの)皇(ひめ)女(みこ)だ。)の実像としては、20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)である竹(たけ)葉(は)瀬(せの)君(きみ)の娘なのだ。つまり葛(かずら)城(ぎの)円(つぶらの)大(おお)臣(まえつぎみ)(実際は、男(お)浅(あさ)津(つ)間(ま)若(わく)子(この)宿(すく)禰(ね)天(てん)皇(のう)・20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)だ。)の娘の韓(から)姫(ひめ)(久留(くる)姫(ひめ)だ。)なのだ。そしてまた、高(たか)部(べの)皇(み)子(こ)の実像としては、その夫の真(ま)若(わかの)君(きみ)(高(こう)尊(そん)王(おう)・22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)なのだ。また、その実母という津(つ)野(の)姫(ひめ)とは、初代田(た)道(みち)君(のきみ)(18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)の妃(きさき)の1人で、その異母妹の玉(たま)彦(ひこ)姫(ひめ)(実際は弟(おと)姫(ひめ)・大(おお)山(やま)姫(ひめ)・津野(つの)姫(ひめ)だ。)なのだ。つまり初代田(た)道(みち)君(のきみ)を、18代履(り)中(ちゅう)天(てん)皇(のう)や、住(すみ)之(の)江(えの)仲(なかの)皇(み)子(こ)や、19代反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)(瑞(みず)歯(は)別(わけの)皇(み)子(こ)だ。)らに分離し、22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)(高(たか)部(べの)皇(み)子(こ)・真(ま)若(わかの)君(きみ)・高(こう)尊(そん)王(おう)だ。)の出自を隠蔽した、ということなのだ。それでは、円(つぶらの)皇(ひめ)女(みこ)(財(たからの)皇(ひめ)女(みこ)・久留(くる)姫(ひめ)だ。)だが、20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)である竹(たけ)葉(は)瀬(せの)君(きみ)の実姉の黒(くろ)姫(ひめ)(入(いり)杵(き)尼(ね)姫(ひめ)・布遅波良己斯郎女(ふじわらのことふしのいらつめ)だ。)こそが、初代田(た)道(みち)君(のきみ)(18・19代履(り)中(ちゅう)・反正(はんぜい)天(てん)皇(のう)だ。)に嫁いで、2人の間に、そのもうけた実子は、①舟(にう)生(う)姫(ひめ)(実際は若(わか)山(やま)姫(ひめ)・20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)の妃(きさき)だ。)や、②太(た)姫(ひめ)(実際は中(なか)蒂(し)姫(ひめ)・22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)の妃(きさき)だ。)や、③市(いちの)辺(べの)押(おし)歯(はの)皇(み)子(こ)(実際は奈(な)良(ら)別(わけ)命(のみこと)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)・御(み)馬(まの)皇(み)子(こ)だ。)たち3人がいたのだ。このうち、長女の舟(に)生(う)姫(ひめ)(実際は若(わか)山(やま)姫(ひめ)だ。)こそが、20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)(竹(たけ)葉(は)瀬(せの)君(きみ)だ。)に嫁いで、この2人の間に、そのもうけた1人娘こそが、円(つぶらの)皇(ひめ)女(みこ)(財(たからの)皇(ひめ)女(みこ)・久留(くる)姫(ひめ)だ。)なのだ。つまり葛(かずら)城(ぎの)円(つぶらの)大(おお)臣(まえつぎみ)(実際は男(お)浅(あさ)津(つ)間(ま)若(わく)子(この)宿(すく)禰(ね)天(てん)皇(のう)・20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)だ。)の娘の韓(から)姫(ひめ)こそが、円(つぶらの)皇(ひめ)女(みこ)や、財(たからの)皇(ひめ)女(みこ)の実像なのだ。また、狭(さ)山(やま)姫(ひめ)や、甲(か)斐(いの)郎(いら)女(つめ)や、童(おさな)女(ごの)君(きみ)や、久留(くる)姫(ひめ)などである、ということなのだ。 

さてそれでは、20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)(竹(たけ)葉(は)瀬(せの)君(きみ)だ。)の娘の円(つぶらの)皇(ひめ)女(みこ)(財(たからの)皇(ひめ)女(みこ)・韓(から)姫(ひめ)・狭(さ)山(やま)姫(ひめ)・甲(か)斐(いの)郎(いら)女(つめ)・童(おさな)女(ごの)君(きみ)・久留(くる)姫(ひめ)だ。)とは、22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)(高(たか)部(べの)皇(み)子(こ)・真(ま)若(わかの)君(きみ)・高(こう)尊(そん)王(おう)・乎(お)非(び)王(おう)だ。)に嫁いで、2人の間に、そのもうけた子としては、隠蔽される姉の宇津(うつ)姫(ひめ)(23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)の後(ご)妃(ひ)だ。)や、その妹の糖(とう)君(きみの)娘(いらつめ)(25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)の正(せい)妃(ひ)だ。)たち2人なのだ。また、姉の宇津(うつ)姫(ひめ)(宇(う)津(つ)志(し)姫(ひめ)だ。)としては、23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)の後(ご)妃(ひ)だが、これは、『次の天(てん)皇(のう)位(い)』の継承するための条件なのだ。また、姉の宇津(うつ)姫(ひめ)(宇(う)津(つ)志(し)姫(ひめ)だ。)と、23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)(実際は彦(ひこ)主人(うしの)王(みこ)・丘(おかの)稚(わく)子(この)王(みこ)・奈良(なら)別(わけの)王(みこ)・百済(くだら)王(おう)の21代蓋(け)鹵(ろ)王(おう)だ。)との間に、そのもうけた1人娘こそが、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)(実際は百済(くだら)王(おう)の25代武(む)寧(りょん)王(おう)だ。)の正(せい)妃(ひ)で先妃(せんぴ)である手(て)白(しら)香(かの)皇(ひめ)女(みこ)である、ということなのだ。しかしながら、この隠された宇津(うつ)姫(ひめ)(宇(う)津(つ)志(し)姫(ひめ)だ。)や、その1人娘である手(て)白(しら)香(の)皇女(ひめみこ)の2人こそが、隠蔽されたために、この手(て)白(しら)香(の)皇女(ひめみこ)の実子で長男の30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)(実際は、百済(くだら)王(おう)の26代聖(そん)明(みょん)王(おう)だ。)の出自さえ、隠蔽されている、ということなのだ。また、これこそが、封印された謎の古代天皇家の大事な系譜である、ということなのだ。 

さてそれでは、妹の方の②糖(とう)君(きみの)娘(いらつめ)(実際は春(かす)日(がの)大(おお)娘(いらつめ)だ。)なのだが、23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)(実際は彦(ひこ)主人(うしの)王(みこ)・丘(おかの)稚(わく)子(この)王(みこ)・奈良(なら)別(わけの)王(みこ)・百済(くだら)王(おう)の21代蓋(け)鹵(ろ)王(おう)だ。)こそが、22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)(百済(くだら)王(おう)の20代比(ひ)有(ゆう)王(おう)だ。)の実妹である角(つの)姫(ひめ)(実際は飯(いい)豊(とよの)皇(ひめ)女(みこ)・青(おう)海(みの)皇(ひめ)女(みこ)・忍(おし)海(うみの)飯豊(いいとよ)青(あお)尊(のみこと)・ハエ姫・振(ふり)姫(ひめ)・綾(あや)姫(ひめ)だ。)との間に、そのもうけた実子である25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)(実際は、紀(きの)大(おお)磐(いわの)宿(すく)禰(ね)・物(ものの)部(べの)木(き)蓮(た)子(ひの)大(おお)連(むらじ)・百済(くだら)王(おう)の23代三(さむ)斤(ぐん)王(おう)だ。)の皇(こう)后(ごう)(正妃(せいひ)だ。)ともなった、ということなのだ。そしてまた、この2人の間に、そのもうけた実子としては、①2代目倭(やまと)彦(ひこ)命(のみこと)である26代武(ぶ)烈(れつ)天(てん)皇(のう)(実際は、三(み)尾(おの)角(つの)折(おりの)君(きみ)・鹿(しか)萬(ま)侶(ろ)・百済(くだら)王(おう)の24代東(とん)城(そん)王(おう)だ。なお、初代倭(やまと)彦(ひこ)命(のみこと)は、丹(たん)波(ば)道(みち)主(ぬし)命(のみこと)だ。)や、②手(て)白(しら)髪(がみの)皇(ひめ)女(みこ)(実際は、目子(めのこ)姫(ひめ)・27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)の後(ご)妃(ひ)だ。)や、③赤(あか)見(みの)皇(ひめ)女(みこ)(実際は春(かす)日(がの)山(やま)田(だの)郎(いら)女(つめ)・28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)の妃(きさき)だ。)や、④橘(たちばなの)仲(なかの)皇(ひめ)女(みこ)(実際は29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)の妃(きさき)だ。)たち1男3女の4人の人物がいた、ということなのだ。 

さてそれでは、和(わ)爾(にの)の木事(こごとの)臣(おみ)である初代田(た)道(みち)君(のきみ)(18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)の娘の津野(つの)姫(ひめ)(実際は、弟(おと)姫(ひめ)・玉(たま)彦(ひこ)姫(ひめ)・大(おお)山(やま)姫(ひめ)だ。)とは、その異母兄の初代田(た)道(みち)君(のきみ)(18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)の後(ご)妃(ひ)ともなって、2人の間に、そのもうけた子としては、22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)(実際は高(たか)部(べの)皇(み)子(こ)・真(ま)若(わかの)君(きみ)・高(こう)尊(そん)王(おう)だ。)や、その実妹の布(ふ)利(り)比(ひ)弥(めの)命(みこと)(実際は、都(つ)怒(の)姫(ひめ)・ハエ姫・角(つの)姫(ひめ)・綾(あや)姫(ひめ)・青海(おうみの)皇女(ひめみこ)・飯(いい)豊(とよの)皇(ひめ)女(みこ)だ。)たち2人がいたのだ。また、その証(しょう)拠(こ)としては、次の文章が残るのだ。これは『現存する継体(けいたい)天皇(てんのう)の系譜』の一文なのだが、『(前文略)都奴牟斯(つのうしの)君(きみ)、妹(いもうと)、布(ふ)利比(りひ)弥(め)命(のみこと)(実際は振(ふり)姫(ひめ)・都(つ)怒(の)姫(ひめ)・ハエ姫・角(つの)姫(ひめ)・綾(あや)姫(ひめ)・青海(おうみの)皇女(ひめみこ)・飯(いい)豊(とよの)皇(ひめ)女(みこ)だ。)也。』とも伝えるからだ。この伝承によれば、都奴牟斯(つのうしの)君(きみ)(実際は角(つの)主人(うしの)君(きみ)・真(ま)若君(わかのきみ)・22代雄略(ゆうりゃく)天皇(てんのう)だ。)の妹(いもうと)の布(ふ)利比(りひ)弥(め)命(のみこと)がいた、ということなのだ。また、彦(ひこ)主人(うしの)王(みこ)(実際は丘稚子(おかのわくこの)王(みこ)・奈良(なら)別(わけの)王(みこ)だ。)である23代清(せい)寧(ねい)天皇(てんのう)(実際は大伴(おおともの)室屋(むろやの)大連(おおむらじ)・平(へ)群(ぐりの)真(ま)鳥(どりの)大(おお)臣(まえつきみ)・初代物(もの)部(のべの)目(めの)大(おお)連(むらじ)だ。)だが、この都(つ)奴(の)牟(う)斯(しの)君(きみ)(実際は角(つの)主人(うしの)君(きみ)・真(ま)若君(わかのきみ)・22代雄略(ゆうりゃく)天皇(てんのう)だ。)の実妹の布(ふ)利(り)比(ひ)弥(めの)命(みこと)(実際は都(つ)怒(の)姫(ひめ)・角(つの)姫(ひめ)・ハエ姫・綾(あや)姫(ひめ)・青海(おうみの)皇女(ひめみこ)・飯(いい)豊(とよの)皇(ひめ)女(みこ)だ。)を娶った人物なのだ。そしてまた、『現存する継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)の系譜』で見てみれば、この布(ふ)利(り)比(ひ)弥(めの)命(みこと)(実際は都(つ)怒(の)姫(ひめ)・角(つの)姫(ひめ)・ハエ姫・綾(あや)姫(ひめ)・青海(おうみの)皇女(ひめみこ)・飯(いい)豊(とよの)皇(ひめ)女(みこ)だ。)と、汗(う)斯(しの)王(みこ)(実際は彦(ひこ)主(う)人(しの)王(みこ)・奈(な)良(ら)別(わけの)命(みこと)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)・百済(くだら)王(おう)の21代蓋(け)鹵(ろ)王(おう)だ。)との2人の間に、そのもうけた子としては、乎(お)富(ほ)富(ほ)大公(おおきみの)王(みこ)(27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)がいた、というのだが、しかしながら、実際としては、この布(ふ)利(り)比(ひ)弥(めの)命(みこと)(実際は角(つの)姫(ひめ)・ハエ姫・綾(あや)姫(ひめ)・青海(おうみの)皇女(ひめみこ)・飯(いい)豊(とよの)皇(ひめ)女(みこ)だ。)と、汗(う)斯(しの)王(みこ)である彦(ひこ)主人(うしの)王(みこ)(実際は丘稚子(おかのわくこの)王(みこ)・奈良(なら)別(わけの)王(みこ)・23代清(せい)寧(ねい)天皇(てんのう)・百済(くだら)王(おう)の21代蓋(け)鹵(ろ)王(おう)だ。)との2人の間に、そのもうけた実子としては、豊(とよ)姫(ひめ)(飯(いい)豊(とよの)青(あおの)皇(ひめ)女(みこ)・毛(け)野(の)姫(ひめ)・高(たか)姫(ひめ)だ。)や、その実弟である25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)(物(ものの)部(べの)木(き)蓮(た)子(ひの)大(おお)連(むらじ)・百済(くだら)王(おう)の23代三(さむ)斤(ぐん)王(おう)・中(なか)臣(とみの)塩(しお)屋(やの)宿(すく)禰(ね)・紀(きの)大(おお)磐(いわの)宿(すく)禰(ね)だ。)たち1男1女の2人がいた、ということなのだ。そしてまた、この豊(とよ)姫(ひめ)(実際は毛(け)野(の)姫(ひめ)・高(たか)姫(ひめ)・飯(いい)豊(とよの)青(あおの)皇(ひめ)女(みこ)だ。)と、24代顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)(実際は物(もの)部(のべの)大(おお)前(くまの)宿(すく)禰(ねの)連(むらじ)・百済(くだら)王(おう)の22代文(むん)周(じゅ)王(おう)だ。)との2人の間に、そのもうけた実子としては、27代継体(けいたい)天皇(てんのう)(大(おお)伴(ともの)金(かな)村(むらの)大(おお)連(むらじ)・百(く)済(だら)王(おう)の25代武(む)寧(りょん)王(おう)だ。)や、その実弟である28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)(百済(くだら)の昆(こん)支(じ)王(おう)・物(ものの)部麁(べのあら)鹿(か)火連(ひのむらじ)・大(おお)伴(ともの)歌(うたの)大(おお)連(むらじ)だ。)たちの2人がいた、ということなのだ。 

つまり乎(お)富(ほ)富(ほ)大公(おおきみの)王(みこ)(27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)としては、実際は、布(ふ)利(り)比(ひ)弥(めの)命(みこと)(実際は角(つの)姫(ひめ)だ。)と、汗(う)斯(しの)王(みこ)(実際は彦(ひこ)主人(うしの)王(みこ)・丘稚子(おかのわくこの)王(みこ)・奈良(なら)別(わけの)王(みこ)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)の双方の人物の子ではなく孫である、ということなのだ。そしてまた、汗(う)斯(しの)王(みこ)(実際は彦(ひこ)主人(うしの)王(みこ)・丘稚子(おかのわくこの)王(みこ)・奈良(なら)別(わけの)王(みこ)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)の後(ご)妃(ひ)である宇津(うつ)姫(ひめ)(22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)の娘だ。)の生んだ娘の手(て)白(しら)香(かの)皇(ひめ)女(みこ)を、その正(せい)妃(ひ)(先(せん)妃(ぴ)だ。)としていたから、一方では、この汗(う)斯(しの)王(みこ)の娘むこでもある、ということなのだ。 

さてそれでは、大(おお)草(くさ)香(かの)皇(み)子(こ)や、葛(かずら)城(ぎの)円(つぶらの)大(おお)臣(まえつぎみ)や、吉(き)備(びの)上(かみつ)道(みちの)臣(おみ)田(た)狭(さ)たちの実像としては、20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)(竹(たけ)葉(は)瀬(せの)君(きみ)だ。)である、ということなのだ。そしてまた、その後(ご)妃(ひ)の舟生(にう)姫(ひめ)とは、太(た)姫(ひめ)(中(なか)蒂(し)姫(ひめ)・22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)の妃(ひ)だ。)や、市(いち)辺(のべの)押(おし)歯(はの)皇(み)子(こ)(奈(な)良(ら)別(わけ)命(のみこと)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)たちの実姉なのだ。そしてまた、その実父である初代田(た)道(みちの)君(きみ)(18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)とは、蟻(ありの)臣(おみ)や、市(いち)川(かわの)使(お)主(み)や、石(いし)川(かわの)宿(すく)禰(ね)たちとも同一人物である、ということなのだ。そしてまた、荒(あら)田(た)別(わけ)命(のみこと)である17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)としては、玉(たま)田(だの)宿(すく)禰(ね)や、初代葦(あし)田(だの)宿(すく)禰(ね)や、大(おお)矢(や)田(たの)宿(すく)禰(ね)たち3人とも同一人物である、ということなのだ。つまり結論としては、『日(に)本(ほん)書(しょ)紀(き)』の中の数々の逸話なのだが、それらしき事件について大げさにフィクションとして創作しているのだ。また、古代天皇の娘は、宿(すく)禰(ね)や、大(おお)連(むらじ)などの人物の娘に分離されて伝えられるのだが、これは隠蔽テクニックということなのだ。 

そしてまた、時代は一気に変わって、37代孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)(実際は、蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)・小(こ)建(だての)久(く)遅(じ)良(らの)臣(おみ)だ。)の在位の時代(645~654年だ。)なのだが、左大臣阿(あ)倍(べの)朝(あそ)臣(み)内(うち)摩(ま)呂(ろの)臣(おみ)(実際は、阿(あ)倍(べの)倉(くら)梯(はし)麻(ま)呂(ろ)だ。)の実像としては、蘇(そ)我(がの)蝦(え)夷(みし)大(おお)臣(おみ)の久(く)米(めの)皇(み)子(こ)なのだ。そしてまた、右大臣蘇(そ)我(がの)倉(くら)山(やま)田(だの)石(いし)川(かわ)麻(ま)呂(ろ)の実像としては、蘇(そ)我(がの)入(る)鹿(か)大(のおお)臣(おみ)である聖(しょう)徳(とく)太(たい)子(し)の35代舒(じょ)明(めい)天(てん)皇(のう)(実際は、伊(い)岐(きの)連(むらじ)磐(いわ)余(れ)・車(くるま)持(もちの)君(きみ)国(くに)子(こ)だ。)である、ということなのだ。(なお、聖(しょう)徳(とく)太(たい)子(し)は、最後は蘇(そ)我(がの)倉(くら)山(やま)田(だの)石(いし)川(かわ)麻(ま)呂(ろ)として、649年に没したのだ。また、久(く)米(めの)皇(み)子(こ)は、鴨(かもの)縣(あがた)主(ぬし)都(つ)牟(む)自(じの)臣(おみ)として、683年に没したのだ。)そしてまた、第2次内閣の左大臣巨(こ)勢(せの)徳(とこ)陀(だの)臣(おみ)(巨(こ)勢(せの)徳(とこ)太(だ)古(こ)だ。)の実像としては、やっぱり久(く)米(めの)皇(み)子(こ)(実際は、蘇(そ)我(がの)蝦(え)夷(みしの)大(おお)臣(おみ)・穂(ほ)積(ずみの)臣(おみ)咋(くい)・鴨(かもの)縣(あがた)主(ぬし)都(つ)牟(む)自(じの)臣(おみ)・山(やま)猪子(いのこ)命(のみこと)・小(お)野(のの)妹(いも)子(こ)だ。)なのだ。しかしながら、右大臣大(おお)伴(ともの)長(なが)徳(とこの)連(むらじ)(実際は、大(おお)伴(ともの)馬(うま)飼(かい)だ。)の実像としては、その実子の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)(実際は、中(なか)臣(とみの)国(くに)足(たり)・高(たか)梯(はしの)王(みこ)・蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)・田(た)辺(なべの)首(おびと)小(お)隅(すみ)だ。)である、ということなのだ。そしてまた、中(なか)臣(とみの)御(み)食(け)子(この)大(おお)連(むらじ)の実像としては、久米皇子(実際は、阿(あ)倍(べの)倉(くら)梯(はし)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)形(かた)名(な)だ。)なのだ。また、その娘むことしては、中(なか)臣(とみの)鎌(かり)足(たり)(蘇(そ)我(がの)赤(あか)兄(えの)大(おお)臣(おみ)だ。)がいたのだ。つまり中(なか)臣(とみの)鎌(かり)足(たり)(実際は、蘇(そ)我(がの)赤(あか)兄(えの)大(おお)臣(おみ)・山(やま)背(しろの)大(おお)兄(えの)皇(み)子(こ)だ。)としては、その後(ご)妃(ひ)として阿(あ)倍(べの)倉(くら)梯(はし)麻(ま)呂(ろ)(実際は、久米皇子・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)形(かた)名(な)だ。)の娘である小(お)足(たらし)姫(ひめ)(星(ほし)河(かわの)女(ひめ)王(みこ)だ。)を娶ったのだが、実際としては、37代孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)(実際は、蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)だ。)の子を孕(はら)んだままで娶った、ということなのだ。そしてまた、このとき、孕(はら)んだ子こそが僧(そう)定(じょう)慧(え)で、実際は、養(よう)子(し)の有(あり)馬(まの)皇(み)子(こ)(実際は、三(み)輪(わの)君(きみ)根(ね)麻(ま)呂(ろ)・石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)だ。)である、ということなのだ。 

そしてまた、中(なか)臣(とみの)御(み)食(け)子(この)大(おお)連(むらじ)の弟の中(なか)臣(とみの)国(こく)子(この)大(おお)連(むらじ)や、その弟の中(なか)臣(とみの)糠(あら)手(て)古(この)大(おお)連(むらじ)たちの実像としては、これも、久米皇子なのだ。また、中(なか)臣(とみの)鎌(かり)足(たり)(実際は、山(やま)背(しろの)大(おお)兄(えの)皇(み)子(こ)・蘇(そ)我(がの)赤(あか)兄(えの)大(おお)臣(おみ)・蜂子(はちのこの)皇子(みこ)だ。)としては、聖(しょう)徳(とく)太(たい)子(し)(実際は、35代舒(じょ)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)の娘むこなのだ。つまり上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)の祖である車(くるま)持(もちの)君(きみ)国(くに)子(こ)(実際は、聖(しょう)徳(とく)太(たい)子(し)・35代舒(じょ)明(めい)天(てん)皇(のう)・鏡(かがみの)王(みこ)だ。)の娘の与(よ)志(し)古(この)娘(いらつめ)(実際は、姪(めい)の春(つき)米(しねの)女(ひめ)王(みこ)だ。)を娶った人物こそが、山(やま)背(しろの)大(おお)兄(えの)皇(み)子(こ)(蜂(はちの)子(この)皇(み)子(こ)だ。)である、ということなのだ。そしてまた、蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)の子(娘むこだ。)である蘇(そ)我(がの)倉(くら)梯(はし)麻(ま)呂(ろ)(阿(あ)倍(べの)倉(くら)梯(はし)麻(ま)呂(ろ)・久米皇子だ。)の子(娘むこだ。)という蘇(そ)我(がの)赤(あか)兄(えの)大(おお)臣(おみ)こそが、中(なか)臣(とみの)鎌(かり)足(たり)の実像である、ということなのだ。 

さてそれでは、宗(むな)像(かたの)君(きみ)徳(とく)善(ぜん)の実像なのだが、39代天(てん)智(じ)天(てん)皇(のう)(中(なかの)大(おお)兄(えの)皇(み)子(こ)だ。)なのだ。また、栗(くり)隈(くまの)君(きみ)東(あずま)人(びと)(県(あがた)犬(いぬ)養(かいの)宿(すく)禰(ね)東(あずま)人(びと)だ。)の実像としては、40代天(てん)武(む)天(てん)皇(のう)なのだ。また、越(こし)の道(みちの)君(きみ)の実像としては、久米皇子がその実像なのだ。つまり○○君とか言われる人物たちは、そのいずれの人物も、実際は、古代天皇などの大(やま)和(と)王(おう)権(けん)の中枢人物たちなのだ。そしてまた、久米皇子(実際は、阿(あ)倍(べの)倉(くら)梯(はし)麻(ま)呂(ろ)・巨(こ)勢(せの)臣(おみ)徳(とこ)太(だ)古(こ)・巨(こ)勢(せの)臣(おみ)大海(おおみ)・阿(あ)倍(べの)引(ひけ)田(たの)比(ひ)羅(ら)夫(ふ)・田(た)目(めの)皇(み)子(こ)・小(お)野(のの)妹(いも)子(こ)だ。)の実子で長男である阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)(実際は、穂(ほ)積(ずみの)臣(おみ)百(もも)足(たり)・鴨(かもの)縣(あがた)主(ぬし)久(く)治(じ)良(らの)命(みこと)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)夜(や)平(へい)・蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(こ)大(のおお)臣(おみ)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)・巨勢(こせの)朝(あそ)臣(み)黒(くろ)麻(ま)呂(ろ)・巨勢(こせの)朝(あそ)臣(み)紫壇(しだん)だ。)の実像としては、高(たか)椅(はしの)王(みこ)なのだ。そしてまた、小足(おたらし)姫(ひめ)(実際は、星(ほし)河(かわの)女(ひめ)王(みこ)だ。)の最後の夫の中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)(実際は、津(つ)守(もりの)連(むらじ)船(ふな)弓(ゆみ)・蘇(そ)我(がの)赤(あか)兄(えの)大(おお)臣(おみ)だ。)としては、鴨(かもの)縣(あがた)主(ぬし)山(やま)基(き)主(ぬし)命(のみこと)なのだ。また、阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)としては、その鴨(かもの)縣(あがた)主(ぬし)山(やま)基(き)主(ぬし)命(のみこと)(中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)だ。)の長女の浄(きよ)刀(と)自(じ)女(め)(春(つき)米(しねの)女王(ひめみこ)の娘だ。)のむこなのだ。また、その異母弟としては、巨勢(こせの)朝(あそ)臣(み)品(ほむ)治(ち)や、小品(こほむ)治(ち)の実像の左大臣多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)(実際は、男(おのこの)王(みこ)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)許(こ)米(め)・蘇(そ)我(がの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)・蘇(そ)我(がの)日(ひ)向(ゅうがの)臣(おみ)だ。)がいた、ということなのだ。 

さてそれでは、37代孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)である蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)(実際は、鴨(かもの)縣(あがた)主(ぬし)小(こ)建(だての)久(く)遅(じ)良(らの)臣(おみ)・33代崇(す)峻(しゅん)天(てん)皇(のう)だ。)については、小(しょう)徳(とく)冠(かん)の高(たか)向(むこの)臣(おみ)玄(げん)理(り)や、高(たか)向(むこの)臣(おみ)黒(くろ)麻(ま)呂(ろ)や、南(みな)淵(ぶちの)請(しょう)安(あん)たちが同一人物なのだ。また、紀(きの)臣(おみ)弥(み)麻(ま)佐(さ)や、大(だい)徳(とく)冠(かん)の大(おお)伴(ともの)咋(くい)子(この)大(おお)連(むらじ)や、物(もの)部(のべの)馬(うま)古(の)大(おお)連(むらじ)や、伊(い)岐(きの)連(むらじ)若(わか)彦(ひこ)命(のみこと)たちも同一人物なのだ。 

さてそれでは、中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)とも同一人物と推測される人物としては、鴨(かもの)縣(あがた)主(ぬし)山(やま)基(き)主(ぬし)命(のみこと)や、蜂(はちの)子(この)皇(み)子(こ)や、大(おお)宅(やけの)臣(おみ)鎌(かま)束(つか)や、三(み)輪(わの)君(きみ)文(ふん)屋(や)や、山(やま)背(しろの)大(おお)兄(えの)皇(み)子(こ)や、伊(い)岐(きの)連(むらじ)麿子(まろこ)や、津(つ)守(もりの)連(むらじ)船(ふな)弓(ゆみ)や、蘇(そ)我(がの)赤(あか)兄(えの)大(おお)臣(おみ)なのだ。また、久(く)米(めの)皇(み)子(こ)がその実像とも推測される人物としては、阿(あ)倍(べの)倉(くら)梯(はし)麻(ま)呂(ろ)や、蘇(そ)我(がの)倉(くら)梯(はし)麻(ま)呂(ろ)や、山(やま)猪(いの)子(この)命(みこと)や、三(み)輪(わの)宇(う)気(き)古(この)臣(おみ)や、粟(あわ)田(たの)臣(おみ)細(ほそ)目(め)や、三(み)輪(わの)君(きみ)弟(おと)隈(くま)や、鴨(かもの)縣(あがた)主(ぬし)都(つ)牟(む)自(じの)臣(おみ)や、蘇(そ)我(がの)蝦(えみ)夷(しの)大(おお)臣(おみ)や、神(こう)津(ず)主(ぬし)命(のみこと)や、伊(い)岐(きの)連(むらじ)乙(お)等(と)や、阿(あ)倍(べの)引(ひけ)田(たの)比(ひ)羅(ら)夫(ふ)や、紀(きの)臣(おみ)阿(あ)閉(べ)麻(ま)呂(ろ)や、巨(こ)勢(せの)臣(おみ)徳(とこ)太(だ)古(こ)や、田(た)目(めの)皇(み)子(こ)や、当(たい)麻(まの)皇(み)子(こ)や、小(お)野(のの)妹(いも)子(こ)や、坂(さかの)上(うえの)駒(こま)子(この)直(あたい)や、上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)形(かた)名(な)や、中(なか)臣(とみの)国(くに)形(がた)卿(きょう)や、中(なか)臣(とみの)御(み)食(け)子(この)大(おお)連(むらじ)や、中(なか)臣(とみの)国(こく)子(この)大(おお)連(むらじ)や、中(なか)臣(とみの)糠(あら)手(て)子(この)大(おお)連(むらじ)や、穂(ほ)積(ずみの)臣(おみ)咋(くい)などの人物たちなのだ。つまり『日(に)本(ほん)書(しょ)紀(き)』で見れば、40代天(てん)武(む)天(てん)皇(のう)の『12年に没した。』という紀(きの)臣(おみ)阿(あ)閉(べ)麻(ま)呂(ろ)や、鴨(かもの)縣(あがた)主(ぬし)都(つ)牟(む)自(じの)臣(おみ)こそが、その最後の実像なのだ。また、最も数多くの別名称を持つ人物に変身した、ということなのだ。 

さてそれでは、その実子で長男の中(なか)臣連(とみのむらじ)国(くに)足(たり)(実際は、阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・鴨(かもの)縣(あがた)主(ぬし)久(く)治(じ)良(らの)臣(おみ)だ。)だが、鴨(かもの)縣(あがた)主(ぬし)山(やま)基(き)主(ぬしの)命(みこと)(中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)・蘇(そ)我(がの)赤(あか)兄(えの)大(おお)臣(おみ)だ。)こそが、車(くるま)持(もちの)君(きみ)国(くに)子(こ)(実際は、聖(しょう)徳(とく)太(たい)子(し)・35代舒(じょ)明(めい)天(てん)皇(のう)・鏡(かがみの)王(みこ)だ。)の娘の与(よ)志(し)古(この)娘(いらつめ)(実際は、姪(めい)の春(つき)米(しねの)女(ひめ)王(みこ)だ。)との間に、そのもうけた長女の浄(きよ)刀(と)自(じ)女(め)のむこなのだ。また、その別名称としては、久米皇子の実子の長男の高(たか)椅(はし)王(のみこ)で、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)久(く)治(じ)良(らの)臣(おみ)や、阿(あ)倍(べの)引田(ひけたの)御(み)主(う)人(し)や、三(み)輪(わの)君(きみ)色(しこ)夫(ふ)や、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)利(とし)金(かね)や、老(おゆ)連(のむらじ)や、大(おお)口(くちの)直(あたい)や、津(つ)守(もりの)連(むらじ)夜(や)平(へい)や、蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)や、中(なか)臣(とみの)金(こがねの)連(むらじ)や、河(かわ)辺(べの)臣(おみ)麻(ま)呂(ろ)や、河(かわ)辺(べの)臣(おみ)百(もも)依(より)や、春(かす)日(がの)粟(あわ)田(たの)臣(おみ)百(もも)依(より)や、大(おお)神(みわの)大(おお)網(あみの)造(みやっこ)百(もも)依(より)や、三(み)輪(わの)君(きみ)大(おお)口(くち)や、小(お)野(のの)毛(え)人(みし)や、紀(きの)朝(あ)臣(そみ)国(くに)益(ます)や、紀(きの)大(おお)口(くちの)臣(おみ)や、那(な)須(すの)国(くにの)造(みやつこ)の子という意(う)斯(し)麻(ま)呂(ろ)や、上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)や、阿(あ)曇(ずみの)連(むらじ)頬(ほお)垂(たれ)や、巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)紫(し)壇(だん)や、巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)黒(くろ)麿(まろ)や、田(た)辺(なべの)首(おびと)小(お)隅(すみ)などの人物が、同一人物である、ということなのだ。 

さてそれでは、この高(たか)椅(はし)王(のみこ)(河(かわ)辺(べの)臣(おみ)腹(ばら)だ。)の異母弟である男(おのこの)王(みこ)(田(た)口(ぐちの)臣(おみ)腹(ばら)だ。)なのだが、その実像としては、多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)なのだ。また、その別名称では、大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)や、大(おお)伴(ともの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)や、中(なか)臣(とみの)連(むらじ)許(こ)海(め)や、多(おおの)臣(おみ)品(ほむ)治(ち)や、多(おおの)臣小(おみこ)品(ほむ)治(ち)や、中(なか)臣(とみの)臣(おみ)垂(たれ)目(め)や、県(あがた)犬(いぬ)養(かいの)宿(すく)禰(ね)大(おお)伴(とも)や、阿(あ)曇(ずみの)連(むらじ)垂(たれ)目(め)や、津(つ)守(もりの)連(むらじ)白(はく)鳥(ちょう)や、韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)や、紀(きの)大(う)人(しの)臣(おみ)や、巨勢(こせの)朝(あそ)臣(み)品(ほむ)治(ち)や、巨勢(こせの)朝(あそ)臣(み)小(こ)品(ほむ)治(ち)や、僧道(どう)照(しょう)や、僧義(ぎ)淵(えん)だ。)たちが同一人物である、ということなのだ。 

そしてまた、阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)(高(たか)椅(はし)王(のみこ)だ。)の実子としては、長男の中(なか)臣連(とみのむらじ)安(あん)達(だち)(実際は、中臣(なかとみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻呂(まろ)だ。)がいたのだ。また、この中納言中臣朝臣(なかとみのあそみ)意(お)美(み)麻呂(まろ)とも同一人物としては、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)秦(はたの)忌(いみ)寸(き)都(つ)理(り)や、秦(はたの)忌(いみ)寸(き)板(いた)持(もち)や、坂上(さかのうえの)老(おゆ)直(のあたい)や、多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)や、多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)や、津(つ)守(もりの)連(むらじ)広(ひろ)麿(まろ)や、下(しも)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麻(ま)呂(ろ)や、大(おお)神(みわの)朝(あ)臣(そみ)安(やす)麿(まろ)や、紀(きの)朝(あ)臣(そみ)古(こ)麻呂(まろ)や、紀(きの)直(あたい)古(こ)麻呂(まろ)や、伊(い)岐(きの)連(むらじ)古(こ)麿(まろ)や、息(おき)長(ながの)真(ま)人(ひと)老(おゆ)や、土(はじ)師(しの)宿(すく)禰(ね)馬(うま)手(て)や、中(なか)臣(とみの)間(はし)人(ひとの)老(おゆの)連(むらじ)や、蘇(そ)我(がの)石(いし)川(かわの)朝(あ)臣(そみ)小(こ)老(おゆ)や、蘇(そ)我(がの)石(いし)川(かわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麻(ま)呂(ろ)や、高(たか)橋(はしの)朝(あ)臣(そみ)笠(かさ)間(ま)や、間(はし)人(ひとの)連(むらじ)大(おお)蓋(かさ)や、僧弁(べん)紀(き)や、高(たか)橋(はしの)朝(あそ)臣(み)笠(かさ)麻(ま)呂(ろ)や、多(おおの)臣(おみ)安(やす)万(ま)侶(ろ)や、中(なか)臣(とみの)朝(あ)臣(そみ)人(ひと)足(たり)や、中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)名(な)代(しろ)や、巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)多(た)益(や)須(す)や、大(おお)伴宿禰(とものすくね)旅(たび)人(と)や、糸(いと)井(いの)連(むらじ)厳(いつ)床(とこ)や、三(み)宅(やけの)吉(きち)士(し)厳(いつ)床(とこ)や、大(おお)神(みわの)朝(あ)臣(そみ)安(やす)麿(まろ)や、大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)牛(うま)養(かい)たちこそが同一人物である、ということなのだ。 

そしてまた、その実弟である中(なか)臣連(とみのむらじ)大(おお)嶋(しま)とも同一人物としては、佐(さ)味(みの)君(きみ)宿(すく)奈(な)麻(ま)呂(ろ)や、粟(あわ)田(たの)朝(あそ)臣(み)真(ま)人(ひと)や、僧道(どう)観(かん)や、僧満誓(まんぜい)や、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)五(い)百(お)依(より)や、村(むら)国(くにの)連(むらじ)御(み)依(より)や、阿(あ)倍(べの)朝(あそ)臣(み)宿(すく)奈(な)麻(ま)呂(ろ)や、阿(あ)倍(べの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)庭(にわ)や、坂(さかの)上(うえの)首(おびと)名(な)直(のあたい)や、多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)縣(あがた)守(もり)や、津(つ)守(もりの)連(むらじ)大(ひろ)海(み)や、多(おおの)臣(おみ)道(みち)万(ま)侶(ろ)や、三(み)輪(わの)君(きみ)子(こ)首(びと)や、県(あがた)犬(いぬ)養(かいの)連(むらじ)五(い)百(お)依(より)や、忌(いん)部(べの)宿(すく)禰(ね)鳥(とり)麻(ま)呂(ろ)や、忌(いん)部(べの)宿(すく)禰(ね)小(こ)人(びと)や、田(た)辺(なべの)史(ふひと)難波(なにわ)麻呂(まろ)や、田(た)辺(なべの)史(ふひと)首(おびと)名(なの)連(むらじ)や、上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)難(なに)波(わ)麻(ま)呂(ろ)や、上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)人(ひと)や、大(おお)野(のの)朝(あそ)臣(み)東(あずま)人(びと)や、坂(さかの)上(うえの)直(あたい)熊(くま)毛(け)や、大(おお)三(み)輪(わの)真(ま)上(かみ)田(だ)迎(むかえの)君(きみ)や、伊(い)岐(きの)連(むらじ)子(こ)人(びと)や、大(おお)神(みわの)朝(あ)臣(そみ)狛(こま)麿(まろ)や、田(た)口(ぐちの)朝(あそ)臣(み)益(ます)人(ひと)や、大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)田(た)主(ぬし)や、大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)道(みち)足(たり)や、笠(かさの)朝(あそ)臣(み)麻呂(まろ)や、三(み)宅(やけの)吉(きち)士(し)博(はか)床(とこ)や、巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)や、巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)たちが同一人物である、ということなのだ。 

そしてまた、阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)(実際は、高(たか)椅(はし)王(のみこ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)・蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)・大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)利(とし)金(かね)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)紫(し)壇(だん)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)黒(くろ)麿(まろ)・田(た)辺(なべの)首(おびと)小(お)隅(すみ)だ。)である鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)久(く)治(じ)良(らの)臣(おみ)の長女のむことしては、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)黒彦(くろひこ)である石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)(実際は、三(み)輪(わの)君(きみ)根(ね)麻(ま)呂(ろ)・猿(さる)丸(まる)大(だ)夫(ゆう)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)生(いく)羽(は)・羽(は)田(だの)八(はつ)国(こく)・有(あり)馬(まの)皇(み)子(こ)・蘇(そ)我(がの)石(いし)川(かわの)朝(あそ)臣(み)宮(みや)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)高(たけ)市(ち)麿(まろ)だ。)がいた、ということなのだ。 

そしてまた、次女の巨(こ)勢(せの)郎(いら)女(つめ)のむことしては、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)伊(い)呂(ろ)具(ぐ)である多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)(実際は、男(おのこ)王(のみこ)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)白(はく)鳥(ちょう)・蘇(そ)我(がの)日向(ひゅうが)臣(のおみ)・蘇(そ)我(がの)臣(おみ)果(はた)安(やす)・蘇(そ)我(がの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)・中(なか)臣(とみの)許(こ)海(めの)連(むらじ)・大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)・紀(きの)大(う)人(しの)臣(おみ)だ。)がいたのだ。そしてまた、3女の蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)(実際は、阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)利(とし)金(かね)・田(た)辺(なべの)史(ふひと)小(お)隅(すみ)・大(おお)中(なか)臣(とみの)金(こがねの)連(むらじ)だ。)の娘である娼(しょう)子(この)娘(いらつめ)(実際は、大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)豊(と)島(しま)売(め)だ。)のむことしては、藤(ふじ)原(わらの)不(ふ)比(ひ)等(と)(実際は草(くさ)壁(かべの)皇(み)子(こ)・高(たけ)市(ちの)皇(み)子(こ)・穂(ほ)積(ずみ)親(しん)王(のう)だ。)がいたのだ。また、そのもうけた実子としては、長男の藤(ふじ)原(わらの)朝(あそ)臣(み)武(む)智(ち)麻(ま)呂(ろ)や、次男の藤(ふじ)原(わらの)朝(あそ)臣(み)房(ふさ)前(さき)や、3男の藤(ふじ)原(わらの)朝(あそ)臣(み)宇(うま)合(かい)たち3人がいた、ということなのだ。 

さてそれでは、日本の古代史を隠蔽された張本人とは、40代天(てん)武(む)天(てん)皇(のう)や、その長男の草(くさ)壁(かべの)皇(み)子(こ)(高(たけ)市(ちの)皇(み)子(こ)・柿(かきの)本(もとの)人(ひと)麻(ま)呂(ろ)だ。)である藤(ふじ)原(わらの)不(ふ)比(ひ)等(と)なのだが、しかしながら、『古(こ)事(じ)記(き)』や、『日本(にほん)書紀(しょき)』の実質的な撰(せん)筆(ぴっ)者(しゃ)としては、この阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)(高(たか)椅(はし)王(のみこ)だ。)の次男である中(なか)臣連(とみむらじ)大(おお)嶋(しま)(実際は、三(み)輪(わの)君(きみ)子(こ)首(びと)・多(おおの)臣(おみ)道(みち)万(ま)侶(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)縣(あがた)守(もり)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)五(い)百(お)依(より)・大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)田(た)主(ぬし)・大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)道(みち)足(たり)・下(しもつ)道(みちの)圀(くに)依(より)・大納言巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)三(み)千(ちち)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)難(なに)波(わ)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)人(ひと)だ。)や、その実兄である中(なか)臣連(とみのむらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)(実際は、多(おおの)臣(おみ)安(やす)万(ま)侶(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)旅(たび)人(と)・下(しもつ)道(みちの)圀(くに)勝(かつ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)多(た)益(や)須(す)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)秦(はたの)忌(いみ)寸(き)都(つ)理(り)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・紀(きの)直(あたい)古(こ)麿(まろ)・下(しも)毛(けの)野(の)朝(あそ)臣(み)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)毛(け)野(の)・大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)牛(うま)養(かい)だ。)たちである、ということなのだ。 

そしてまた、中(なか)臣連(とみのむらじ)安(あん)達(だち)である中臣連(なかとみのむらじ)意(お)美(み)麻呂(まろ)(実際は、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)の秦(はたの)忌(いみ)寸(き)都(つ)理(り)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)牛(うま)養(かい)・大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)旅(たび)人(と)だ。)や、その実弟である中(なか)臣連(とみのむらじ)大(おお)嶋(しま)(実際は、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)五(い)百(お)依(より)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)だ。)たち2人としては、多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)(実際は、蘇(そ)我(がの)日(ひ)向(ゅうが)臣(のおみ)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひの)命(みこと)・・大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)・大(おお)伴(ともの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)だ。)の娘むこでもあった、ということなのだ。また、この津(つ)守(もりの)連(むらじ)白(はく)鳥(ちょう)である多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)(実際は、韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひの)命(みこと)・蘇(そ)我(がの)日(ひ)向(ゅうが)臣(のおみ)・百(く)済(だら)王(こに)氏(きし)南(なん)典(てん)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)伊(い)呂(ろ)具(ぐ)・大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)・男(おのこの)王(みこ)・大(おお)伴(ともの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)・僧道(どう)照(しょう)・僧義(ぎ)淵(えん)だ。)については、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)山(やま)基(き)主(ぬしの)命(みこと)である中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)(蘇(そ)我(がの)赤(あか)兄(えの)大(おお)臣(おみ)だ。)の次女の家(いえ)原(はら)の音(おと)那(な)(春(つき)米(しねの)女王(ひめみこ)の娘だ。)のむこなのだ。また、この家(いえ)原(はら)の音(おと)那(な)との2人の間に、そのもうけた長女のむことしては、津(つ)守(もりの)連(むらじ)生(いく)羽(ば)である石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)(実際は、当(たい)麻(まの)真(ま)人(ひと)智(ち)徳(とこ)・越(こしの)君(きみ)の才(さい)智(ち)・小(お)建(だての)黒(くろ)彦(ひこ)命(のみこと)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)高(たけ)市(ち)麿(まろ)だ。)がいたのだ。また、このほかに、次女の多(た)治(じ)比(ひの)郎(いら)女(つめ)(阿(あ)岐(き)良(ら)姫(ひめ)だ。)のむことしては、津(つ)守(もりの)連(むらじ)広(ひろ)麿(まろ)である中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)(実際は、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)都(つ)理(り)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)板(いた)持(もち)・下(しも)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・大(おお)伴(ともの)牛(うま)養(かい)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麿(まろ)だ。)や、また、3女のむことしては、津(つ)守(もりの)連(むらじ)大(ひろ)海(み)である中(なか)臣連(とみのむらじ)大(おお)嶋(しま)(実際は、三(み)輪(わの)君(きみ)子(こ)首(びと)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)五(い)百(お)依(より)・大(おお)伴(ともの)田(た)主(ぬし)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)縣(あがた)守(もり)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)三(み)千(ちち)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)難(なに)波(わ)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)人(ひと)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)狛(こま)麿(まろ)だ。)たち3人がいたのだ。そしてまた、4女としては、坂(さかの)上(うえの)郎(いら)女(つめ)(実際は、穂(ほ)積(ずみ)親(しん)王(のう)室(しつ)・のちに異母弟の大(おお)伴(ともの)宿(すく)奈(な)麿(まろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)成(なり)の後(ご)妻(さい)だ。)がいた、ということなのだ。 

さてそれでは、その証(しょう)拠(こ)としては、『鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)家伝(かでん)』の『禰宜(ねぎ)次第(しだい)』を見てみれば、建(たけ)玉(たま)依(より)彦(ひこ)命(のみこと)(実際は、天(あまの)火(ほ)明(あかり)命(のみこと)だ。)の11世孫という始祖、大(おお)伊(い)乃(の)伎(ぎ)命(のみこと)の実像としては、12代景(けい)行(こう)天皇(てんのう)の豊(とよ)城(き)入(いり)彦(ひこ)命(のみこと)である、ということなのだ。そしてまた、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)久(く)治(じ)良(らの)臣(おみ)(実際は、阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)だ。)に繋がる系譜なのだが、この鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)久(く)治(じ)良(らの)臣(おみ)である阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)(実際は、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)利(とし)金(かね)だ。)の子としては、4人の子(娘むこ含む。)がいて、長子である鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)黒(くろ)彦(ひこ)命(のみこと)の実像としては、長女のむこである石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)(大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)高(たけ)市(ち)麿(まろ)だ。)なのだ。また、その弟の鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)伊(い)呂(ろ)具(ぐ)の実像としては、次女のむこである異母弟の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)(男(おのこの)王(みこ)・蘇(そ)我(がの)日(ひ)向(ゅうが)臣(のおみ)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)白(はく)鳥(ちょう)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひの)命(みこと)だ。)なのだ。また、その弟の鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)都(つ)理(り)(鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)板(いた)持(もち)だ。)の実像としては、実子で長男の中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)(大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)牛(うま)養(かい)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)毛(け)野(の)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麿(まろ)・下(しも)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麻(ま)呂(ろ)だ。)なのだ。また、その実弟の鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)五(い)百(お)依(より)の実像としては、実子で次男の中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)(三(み)輪(わの)君(きみ)子(こ)首(びと)・粟(あわ)田(たの)朝(あそ)臣(み)真(ま)人(ひと)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)縣(あがた)守(もり)・大納言巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)三(み)千(ちち)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)難(なに)波(わ)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)人(ひと)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)狛(こま)麿(まろ)だ。)がいた、ということなのだ。 

さてそれでは、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)のもう1つの系譜である『賀茂(かもの)御祖(みおや)皇(こう)太(たい)神宮(じんぐう)禰宜(ねぎ)河合(かわい)神職(しんしょく)県(あがた)主(ぬし)系図(けいず)』で見てみれば、大(おお)山(さん)下(げ)の久(く)治(じ)良(らの)臣(おみ)(阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)だ。)や、その子という小建(おたての)黒日(くろひ)命(のみこと)(小建(おたての)黒日子(くろひこ)命(のみこと)だ。)との2人の間には、◯◯の~子の小建(おたての)黒日(くろひ)命(のみこと)(石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)だ。)ともなっていて、一代挿入されているのだ。そこで、この◯◯の実像としては、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)伊(い)呂(ろ)具(ぐ)の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)である、ということなのだ。そしてまた、小建(おたての)黒日(くろひ)命(のみこと)(小建(おたての)黒日子(くろひこ)命(のみこと)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)生(いく)羽(は) ・石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)板(いた)持(もち)(中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)だ。)や、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)五(い)百(お)依(より)(中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)大(ひろ)海(み)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)縣(あがた)守(もり)・大(おお)伴(ともの)田(た)主(ぬし)だ。)たち3人の娘むこがいた、ということなのだ。さてそれでは、津守連(つもりのむらじ)氏(し)の系譜』で見てみれば、このほかに、実子で長男の津(つ)守(もり)連(むらじ)池(いけ)吉(よし)(多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)成(なり)・大(おお)伴(ともの)宿(すく)奈(な)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、実子で次男の津(つ)守(もりの)連(むらじ)池(いけ)雄(お)(多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)足(たり)だ。)たち2人がいたのだ。 

そしてまた、『大三輪(おおみわ)氏(し)の系譜』で見てみれば、文屋(ふんや)(実際は、中(なか)臣(しん)鎌(かま)足(たり)だ。)の子(娘むこだ。)の大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)利(とし)金(かね)(実際は、阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・蘇(そ)我(がの)連子(むらじこの)大臣(おおおみ)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)夜(や)平(へい)だ。)の子としては、長女のむこの①大神(おおみわの)朝(あそ)臣(み)高市(たけち)麿(まろ)(実際は、石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、その弟は、実子で長男の②大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麿(まろ)(実際は、中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、実子で次男の③大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)狛(こま)麿(まろ)(実際は、中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)三(み)千(ちち)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)難(なに)波(わ)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)人(ひと)だ。)や、その実妹の④大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)豊(と)島(しま)売(め)(実際は、蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)の娘の娼(しょう)子(この)娘(いらつめ)・藤(ふじ)原(わらの)不(ふ)比(ひ)等(と)の先(せん)妻(さい)だ。)たちがいた、ということなのだ。 

さてそれでは、伏見(ふしみ)稲荷(いなり)大社(たいしゃ)』の稲荷(いなりの)大神(おおかみ)の伝説』(菅田正昭氏の著書「日本の神社を知る事典」)で見てみれば、伏見(ふしみ)稲荷(いなり)大社(たいしゃ)』の条の山城(やましろ)国(のくに)風土記(ふどき)』逸文によれば、秦(はた)氏(し)の先祖にあたる伊侶(いろ)具(ぐ)という金持ちが、餅(もち)を的(まと)にしたところ、その餅(もち)が白鳥(はくちょう)に化して飛んでいき、山の峯の止まった場所に稲が生じた(伊禰奈(いねな)利生(りを)きひき)ので「伊奈(いな)利(り)」を社の名にした』という話が伝わっている、ともいうのだ。さてそこで、この鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)秦(はたの)忌(いみ)寸(き)伊(い)呂(ろ)具(ぐ)の実像としては、天(てん)武(む)朝(ちょう)の左大臣多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)(津(つ)守(もりの)連(むらじ)白(はく)鳥(ちょう)・大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)大(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)許(こ)海(めの)連(むらじ)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)・大伴連御行(おおとものむらじみゆき)・巨(こ)勢(せの)多(た)比(ひ)等(との)臣(おみ)・紀(きの)大(う)人(しの)臣(おみ)・近(おう)江(み)朝(ちょう)の大納言蘇(そ)我(がの)安(やす)麻呂(まろ)・蘇(そ)我(がの)臣(おみ)日向(ひゅうが)だ。)である、ということなのだ。 

さてそれでは、この多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)の3女のむことしては、中(なか)臣連(とみのむらじ)大(おお)嶋(しま)(三(み)輪(わの)君(きみ)子(こ)首(びと)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)五百(いお)依(より)・忌(いん)部(べの)鳥(とり)麻(ま)呂(ろ)・忌(いん)部(べの)宿(すく)禰(ね)小(こ)人(びと)・僧道(どう)観(かん)・多(おおの)臣(おみ)道(みち)麻呂(まろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)縣(あがた)守(もり)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)大(ひろ)海(み)・粟(あわ)田(たの)朝(あそ)臣(み)真(ま)人(ひと)・佐(さ)味(みの)君(きみ)宿(すく)奈(な)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)三(み)千(ちち)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)難(なに)波(わ)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)人(ひと)・坂(さかの)上(うえの)直(あたい)熊(くま)毛(け)・坂(さかの)上(うえの)直(あたい)首名(おびとな)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)野(のの)朝(あそ)臣(み)東(あずま)人(びと)だ。)がいたのだ。また、この中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)の実子としては、長女の麻(ま)都比女(つひめ)(妹子(いもこ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)成(なり)の妻だ。)や、長男の阿(あ)倍(べの)引(ひけ)田(たの)島(しま)足(たり)(孝(こう)子(し)凡(ぼん)丸(まる)・吉(き)備(びの)真(ま)備(きび)・大(おお)伴(ともの)古(こ)慈悲(しび)・紀(きの)直(あたい)千(ち)島(しま)だ。)や、次男の跡取り息子』の阿倍(あべの)引田(ひけたの)広目(ひろめ)(伊(い)豆(ず)丸(まる)・大(おお)伴(ともの)駿(する)河(が)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)倍(べの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)部(べの)仲(なか)麻(ま)呂(ろ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)泰(やす)麿(まろ)・大(おお)石(いしの)宿(すく)禰(ね)三(み)原(はら)麻(ま)呂(ろ)・紀(きの)直(あたい)広(ひろ)嶋(しま)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)瀬(せ)だ。)たち2男1女の3人がいた、ということなのだ。 

そしてまた、長男の右大臣吉備真備(きびのまきび)(紀(きの)直(あたい)千(ち)嶋(しま)だ。)の父は、下(しもつ)道(みちの)圀(くに)勝(かつ)ともいうのだが、これは、その舅(しゅうと)の中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)なのだ。また、同一人物である大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)(多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・伊(い)岐(きの)連古(むらじこ)麿(まろ)・下毛(しもけ)野(のの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麻呂(まろ)・下毛(しもけ)野(のの)朝(あそ)臣(み)石(いわ)代(しろ)・大(おお)伴(ともの)牛(うま)養(かい)・中(なか)臣(とみ)連(むらじ)安(あん)達(だち)・多(おおの)臣(おみ)安(やす)万(ま)侶(ろ)・僧弁(べん)紀(き)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麿(まろ)だ。)である紀(きの)直(あたい)古(こ)麻(ま)呂(ろ)の子(娘むこ含む。)としては、長女のむこである①石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)(石(いその)上(かみの)乙(おと)麻(ま)呂(ろ)・荒(あら)嶋(しまの)宿(すく)禰(ね)乙(おと)主(ぬし)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)・初代国(こく)学(がく)の頭(かしら)の博(はか)士(せ)、文(あや)部(べの)息(おく)道(みち)・林(はやしの)直(あたい)解(かい)任(とう)だ。)や、また、次女のむこである②阿(あ)倍(べの)引(ひけ)田(たの)島(しま)足(たり)(大(おお)伴(ともの)書(ふみ)持(もち)・大神(おおみわの)朝(あそ)臣通(みみち)守(もり)・吉(き)備(びの)真(ま)備(きび)・大(おお)伴(ともの)古(こ)慈悲(しび)・丹(たん)波(ばの)史(ふひと)麻(ま)呂(ろ)・紀(きの)直(あたい)千(ち)嶋(しま)だ。)や、また、3女のむこである③阿倍(あべの)引田(ひけたの)広目(ひろめ)(大(おお)伴(ともの)駿(する)河(が)麻(ま)呂(ろ)・伊(い)豆(ず)丸(まる)・阿(あ)倍(べの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)部(べの)仲(なか)麻(ま)呂(ろ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)泰(やす)麿(まろ)・大(おお)石(いしの)宿(すく)禰(ね)三(み)原(はら)麻(ま)呂(ろ)・陽(や)候(この)史(ふひと)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)高(たか)多(た)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)瀬(せ)・紀(きの)直(あたい)広(ひろ)嶋(しま)だ。)や、また、実子で長男の④右大臣中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麿(まろ)卿(きょう)(紀(きの)直(あたい)建(たけ)嶋(しま)・大(おお)伴(ともの)宿禰(すくね)家(やか)持(もち)・坂(さかの)上(うえの)大(おお)忌(いみ)寸(き)大(おお)国(くに)・大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)美(み)岐(き)麿(まろ)・大神(おおみわの)朝(あそ)臣奥(みおく)守(もり)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)馬(うま)養(かい)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)東(あずま)人(びと)だ。)たち4人の人物がいた、ということなのだ。 

さてそれでは、実子で長男の右大臣中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麿(まろ)卿(きょう)(坂(さかの)上(うえの)大(おお)忌(いみ)寸(き)大(おお)国(くに)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)美(み)岐(き)麿(まろ)だ。)の実子としては、坂(さかの)上(うえの)大(おお)忌(いみ)寸(き)犬(いぬ)養(かい)(大(やま)和(との)忌(いみ)寸(き)長(なが)岡(おか)だ。)や、その実姉の大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)宅(やか)女(め)(賀(か)陽(やの)臣(おみ)小(こ)玉(だま)女(め)だ。)の2人がいたのだ。また、この大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)宅女(やかめ)のむこ(後(ご)妻(さい)だ。)としては、中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)泰(やす)麻(ま)呂(ろ)(阿(あ)倍(べの)引(ひけ)田(たの)広(ひろ)目(め)・但馬(たじまの)守(かみ)の阿倍(あべの)臣安(おみやす)麻呂(まろ)・紀(きの)臣(おみ)広(ひろ)嶋(しま)・阿(あ)倍(べの)仲(なか)麻(ま)呂(ろ)・陽(や)候(この)史(ふひと)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)石(いしの)宿(すく)禰(ね)三(み)原(はら)麿(まろ)・初代大(おお)伴(ともの)胡(こ)麿(まろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)瀬(せ)だ。)の長男である阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)(和(わ)氣(けの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻(ま)呂(ろ)・楊(や)侯(この)史(ふひと)真(まさ)身(み)・大(おお)石(いしの)宿(すく)禰(ね)正(まさ)躬(み)・石(いその)上(かみの)宅(やか)嗣(つぐ)・2代目大(おお)伴(ともの)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)大(おお)川(かわ)・紀(きの)直(あたい)国(くに)栖(ます)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)船(ふな)守(もり)・2代目国(こく)学(がく)の頭(かしら)博(はか)士(せ)の文(あや)部(べの)良(よし)道(みち)・大(だい)学(がくの)頭(かみ)博(はか)士(せ)の菅(すが)野(のの)真(ま)道(みち)だ。)である、ということなのだ。そしてまた、この和(わ)氣(けの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻(ま)呂(ろ)の実姉とは、和気(わけの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)虫(むし)なのだ。 

さてそれでは、この多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)(大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)御(み)行(ゆき)・大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)安(やす)麻(ま)呂(ろ)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひの)命(みこと)・近(おう)江(み)朝(ちょう)の大納言蘇(そ)我(がの)安(やす)麻呂(まろ)だ。)こそが、近(おう)江(み)朝(ちょう)の右大臣中(なか)臣(とみの)金(こがねの)連(むらじの)臣(おみ)や、大(おお)伴(ともの)連(むらじ)長(なが)徳(とこ)の実像である阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)(三(み)宅(やけの)吉(き)士(しの)神(かみ)床(とこ)だ。)の娘むこの1人なのだ。つまり大(おお)伴(ともの)連(むらじ)長(なが)徳(とこ)(大(おお)伴(ともの)連(むらじ)男(お)吹(ふ)負(けい)・三(み)宅(やけの)吉(き)士(しの)神(かみ)床(とこ)・紀(きの)大(おお)口(くちの)臣(おみ)・大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)利(とし)金(かね)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)紫(し)壇(だん)だ。)である阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)の次女の巨(こ)勢(せの)郎(いら)女(つめ)を、その後(ご)妻(さい)として娶った異母弟である、ということなのだ。 

さてそれでは、群馬県高(たか)崎(さき)市(し)山(やま)名町(なちょう)には、最近ユネスコ世界の記憶』に登録された上(こう)野(づけ)三(さん)碑(ひ)』のうちの、金(かな)井沢(いざわ)の碑(ひ)』という奈良時代初期(726年)に造立された先祖供養のための碑があるのだが、その碑文の意味については、三(み)家(やけ)氏(し)の妻、他(おさ)田(だの)君目(きみめ)頬(づら)刀(と)自(じ)の娘の加(か)那(な)刀(と)自(じ)が、物(もの)部(のべの)君(きみ)と婚姻して、1男2女(実際は、①物(もの)部(のべの)君(きみ)午(うま)足(たり)・②ヒヅメ刀(と)自(じ)・③若ヒヅメ刀(と)自(じ)だ。)をもうけた、とも読み取れる。』ということなのだ。さてそれでは、他(おさ)田(だの)君(きみ)目(め)頬(づら)刀(と)自(じ)の実像としては、他(おさ)田(だの)君(きみ)である31代敏(び)達(たつ)天(てん)皇(のう)の1人娘の由(ゆ)波(は)利(りの)皇(ひめ)女(みこ)(実際は、宇(う)治(じの)貝(かい)蛸(だこ)姫(ひめ)・田(た)村(むらの)皇(ひめ)女(みこ)だ。)なのだ。また、この目(め)頬(づら)刀(と)自(じ)(由(ゆ)波(は)利(りの)皇(ひめ)女(みこ)だ。)とは、物(もの)部(のべの)守(もり)屋(やの)大(おお)連(むらじ)(実際は、32代用(よう)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)の皇(こう)后(ごう)(正(せい)妃(ひ)だ。)ともなって、2人の間に、そのもうけた娘としては、加(か)那(な)刀(と)自(じ)(加奈(なか)世(よ)姫(ひめ)だ。)がいた、ということなのだ。そしてまた、加(か)那(な)刀(と)自(じ)(加奈(なか)世(よ)姫(ひめ)だ。)としては、三(み)家(やけ)氏(し)である三(み)宅(やけの)吉(き)士(し)入(いり)石(いし)の実像である物(もの)部(のべの)首(おびと)(武蔵(むさしの)大(おお)臣(おみ)・久米皇子・蘇(そ)我(がの)蝦(えみ)夷(しの)大(おお)臣(おみ)だ。)の後(ご)妃(ひ)ともなって、1男2女をもうけた、という意味である、ということなのだ。そしてまた、1女のヒヅメ刀(と)自(じ)の実像としては、阿(あ)倍(べの)倉(くら)梯(はし)麻(ま)呂(ろ)(久米皇子だ。)の娘の橘(たちばな)媛(ひめの)娘(いらつめ)(39代天(てん)智(じ)天(てん)皇(のう)の妃(きさき)だ。)なのだ。また、もう1人の妹の若ヒヅメ刀(と)自(じ)の実像としては、同じ久米皇子である栗(くり)隈(くまの)君(きみ)徳(とこ)萬(まん)の娘の黒(くろ)媛(ひめの)娘(いらつめ)(39代天(てん)智(じ)天(てん)皇(のう)の妃(きさき)だ。)なのだ。このほかに、1男の物(もの)部(のべの)君(きみ)午(うま)足(たり)の実像としては、この2人の姫のむこである39代天(てん)智(じ)天(てん)皇(のう)(実際は、物(もの)部(のべの)多(た)都(つ)彦(ひこの)大(おお)連(むらじ)だ。)こそが、その実像である、ということなのだ。 

さてそれでは、大(だい)徳(とく)冠(かん)の大(おお)伴(ともの)咋(くい)子(この)大(おお)連(むらじ)である蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)(実際は、33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)・物(もの)部(のべの)馬(うま)古(の)大(おお)連(むらじ)・膳(かしわ)部(べの)臣(おみ)加(か)多(た)夫(ぶ)古(こ)だ。)の娘(実際は、須(す)賀(が)志(ひ)呂(ろ)子(この)郎(いら)女(つめ)・川(かわ)上(かみの)娘(いらつめ)だ。)のむことしては、久米皇子なのだ。また、穂(ほ)積(ずみの)臣(おみ)咋(くい)や、大(おお)伴(ともの)連(むらじ)国(くに)麿(まろ)や、坂(さかの)上(うえの)直(あたい)駒(こま)子(こ)たちの実像としては、久米皇子の別名称なのだ。また、この久米皇子の実子で長男の大(おお)伴(ともの)連(むらじ)長(なが)徳(とこ)(実際は、阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・高(たか)梯(はしの)王(みこ)・紀(きの)大(おお)口(くちの)臣(おみ)だ。)なのだが、その兄弟の大(おお)伴連(とものむらじ)東安(とうあん)や、大(おお)伴連(とものむらじ)馬(ま)来(く)田(た)や、大(おお)伴(ともの)連(むらじ)兄(え)麻(ま)呂(ろ)や、大(おお)伴(ともの)連(むらじ)男(お)吹(ふ)負(けい)たちの実像としては、この大(おお)伴(ともの)連(むらじ)長(なが)徳(とこ)である阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)(高(たか)梯(はしの)王(みこ)だ。)こそが、その実像なのだ。つまり古代氏族の系譜』の中で、大(おお)伴(とも)氏(し)の系譜』については、多くの大胆な隠蔽工作が仕組まれているのだ。そしてまた、古代氏族の系譜』の著者の溝口睦子さんによれば、大(おお)伴(とも)氏(し)の系譜』については、他の古代豪族の系譜と比べると、特異性が見受けられる、とも指摘されるが、この大(おお)伴(とも)氏(し)の系譜』こそが、古代天皇の実像を解くために、最も隠蔽された系譜で、最も大事な系譜なのだ。そこで、逆に、大(おお)伴(とも)氏(し)の系譜』が解ければ、古代天皇の実像とは大きく解明されるのだ。それでは、大(おお)伴(とも)氏(し)の系譜』についても、これから、より詳しく検証して見たいと思うのだ。そこで、但馬物部氏(たじまもののべし)の系譜』や、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)の系譜』や、紀(きの)直(あたい)氏(し)の系譜』や、伊(い)岐連(きのむらじ)の系譜』や、津守(つもり)氏(し)の系譜』や、大(おお)伴(とも)氏(し)の一族である古屋(ふるや)氏(し)の系譜』などを検証してから、これら古代有力氏族の推定系譜』こそが、大(おお)伴(とも)氏(し)の系譜』の中では、どの人物と誰が同一人物なのかについても、更に見極めてみたいと思うのだ。そこで、これから各古代氏族の系譜』に、( )内の推定人物を挿入して、検証してみたいと思う。 

それでは、はじめに、●但馬物部氏(たじまもののべし)の推定系譜』を見てみれば、天(あま)照(てる)国(くに)照(てるの)直(あたい)天(あまの)火(ほ)明(あかり)命(のみこと)櫛(くし)玉(たま)饒(にぎ)速(はや)日(ひ)尊(のみこと)(天火(あまのほ)明(あかり)命(のみこと)だ。)~宇(う)麻(ま)志(し)摩(ま)冶(ちの)尊(みこと)(初代神(じん)武(む)天(てん)皇(のう)だ。)~味(うまし)饒(にぎ)田(た)命(のみこと)(2代綏(すい)靖(ぜい)天皇(てんのう)・天(あまの)村(むら)雲(くも)命(のみこと)だ。)や、彦(ひこ)湯(ゆ)支(し)命(のみこと)(2代綏(すい)靖(ぜい)天皇(てんのう)・天(あまの)村(むら)雲(くも)命(のみこと)だ。)、とも伝えているのだ。また、彦(ひこ)湯(ゆ)支(し)命(のみこと)(2代綏(すい)靖(ぜい)天皇(てんのう)・天(あまの)村(むら)雲(くも)命(のみこと)だ。)の子孫としては、大(おお)禰(ねの)命(みこと)(3代安寧(あんねい)天皇(てんのう)・天(あまの)忍(おし)人(ひと)命(のみこと)・紀伊(きい)国造(こくぞう)の祖(そ)・天道(あまのみち)根(ね)命(のみこと)だ。)や、出(いず)石(し)心(こころ)命(のみこと)(天ヒボコ命・天(あまの)照(てる)日(ひ)命(のみこと)・4・5・6代懿(い)徳(とく)・孝(こう)昭(しょう)・孝安(こうあん)天皇(てんのう)だ。)や、出(いず)雲(も)色(しきの)大(おお)臣(まえつきみ)(天ヒボコ命・天(あまの)照(てる)日(ひ)命(のみこと)・4・5・6代懿(い)徳(とく)・孝(こう)昭(しょう)・孝安(こうあん)天皇(てんのう)だ。)たちがいた、というのだ。また、出(いず)石(し)心(こころ)命(のみこと)(天ヒボコ命・天(あまの)照(てる)日(ひ)命(のみこと)・4・5・6代懿(い)徳(とく)・孝(こう)昭(しょう)・孝安(こうあん)天皇(てんのう)だ。)の子孫としては、大(おお)水(みず)口(くちの)命(みこと)(奥(おく)津(つ)世(よ)襲(そ)命(のみこと)だ。)や、②大(おお)矢(や)口(くちの)命(みこと)(7代孝(こう)霊(れい)天皇(てんのう)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、出(いず)雲(も)色(しきの)大(おお)臣(まえつきみ)(天ヒボコ命・天(あまの)照(てる)日(ひ)命(のみこと)・4・5・6代懿(い)徳(とく)・孝(こう)昭(しょう)・孝安(こうあん)天皇(てんのう)だ。)の子孫としては、大(おお)木(き)食(けつ)命(のみこと)(7代孝(こう)霊(れい)天皇(てんのう)だ。)や、六(むつ)見(みの)宿(すく)禰(ね)命(のみこと)(7代孝(こう)霊(れい)天皇(てんのう)だ。)や、三(みつ)見(みの)宿(すく)禰(ね)命(のみこと)(7代孝(こう)霊(れい)天皇(てんのう)だ。)たちがいた、というのだ。また、大(おお)矢(や)口(くちの)命(みこと)(7代孝(こう)霊(れい)天皇(てんのう)だ。)の子孫としては、①大(おお)峯(みね)大(おお)尼(ねの)命(みこと)(8代孝元(こうげん)天皇(てんのう)だ。)や、②内(うつ)色(し)雄(お)命(のみこと)(8代孝元(こうげん)天皇(てんのう)だ。)~死(し)建(たけ)大(おお)尼(ねの)命(みこと)(9代開(かい)化(か)天皇(てんのう)だ。)や、③内(うつ)色(し)謎(こめ)姫(ひめ)や、④大(おお)綜(そ)麻(ま)杵(きの)命(みこと)(大(おお)彦(びこ)命(のみこと)だ。)たち4人がいた、というのだ。また、大(おお)綜(そ)麻(ま)杵(きの)命(みこと)(大(おお)彦(びこ)命(のみこと)だ。)の子孫としては、伊(い)香(か)色(し)男(お)命(のみこと)(彦(ひこ)坐(いますの)命(みこと)・10代崇(す)神(じん)天皇(てんのう)だ。)や、伊(い)香(か)色(し)謎(こめ)姫(ひめ)たち2人がいた、というのだ。 

そしてまた、伊(い)香(か)色(し)男(お)命(のみこと)(彦(ひこ)坐(いますの)命(みこと)・10代崇(す)神(じん)天皇(てんのう)だ。)の子孫としては、①大(おお)新(にい)河(かわ)命(のみこと)(12代景(けい)行(こう)天皇(てんのう)だ。)や、②建(たけ)胆(い)心(こころの)大(おお)祢(ねの)命(みこと)や、③安(あ)家(けの)建(たけ)美(みの)命(みこと)や、④十(と)市(いち)根(ねの)命(みこと)(11代垂(すい)仁(にん)天(てん)皇(のう)・八(や)坂(さか)入(いり)彦(ひこ)命(のみこと)・神(かむ)大(おお)根(ねの)王(みこ)だ。)や、⑤大(おお)咩(び)布(ぬの)命(みこと)(12代景(けい)行(こう)天皇(てんのう)だ。)や、⑥建(たけ)新(にい)川(かわ)命(のみこと)(12代景(けい)行(こう)天皇(てんのう)だ。)たち6人がいた、というのだ。また、大(おお)新(にい)河(かわ)命(のみこと)(12代景(けい)行(こう)天皇(てんのう)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)武(たけ)諸(もろ)隅(ずみの)連(むらじ)(倭(やまと)武(たける)尊(のみこと)だ。)や、②物(もの)部(のべの)大(おお)小(しょう)市(いちの)連(むらじ)や、③物(もの)部(のべの)大(おお)小(しょう)木(きの)連(むらじ)や、④物(もの)部(のべの)大(おお)母(もろ)隅(すみの)連(むらじ)たち4人がいた、というのだ。 

そしてまた、十(と)市(いち)根(ねの)命(みこと)(11代垂(すい)仁(にん)天(てん)皇(のう)・八(や)坂(さか)入(いり)彦(ひこ)命(のみこと)・神(かむ)大(おお)根(ねの)王(みこ)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)胆(いく)咋(いの)宿(すく)禰(ね)(彦(ひこ)狭(さ)嶋(しまの)命(みこと)・13代成(せい)務(む)天(てん)皇(のう)だ。)や、②物(もの)部(のべの)止(と)志(し)奈(なの)連(むらじ)や、③物(もの)部(のべの)片(かた)堅(か)石(せき)連(のむらじ)(倭(やまと)武(たけるの)尊(みこと)だ。)や、④物(もの)部(のべの)切(き)岐(き)美(みの)命(みこと)や、⑤物(もの)部(のべの)金(かな)弓(ゆみ)連(のむらじ)たち5人がいた、というのだ。 

そしてまた、物(もの)部(のべの)武(たけ)諸(もろ)隅(すみ)連(のむらじ)(倭(やまと)武(たける)尊(のみこと)だ。)の子孫としては、物(もの)部(のべの)多(た)遅(じ)麻(ま)連(のむらじ)(御諸(みもろ)別命(わけのみこと)・稲(いな)依(より)別(わけ)命(のみこと)・竹野彦(たかのひこ)命(のみこと)・吉備(きび)津彦(つひこ)命(のみこと)・14代仲哀(ちゅうあい)天皇(てんのう)だ。)がいた、というのだ。また、この物(もの)部(のべの)多(た)遅(じ)麻(まの)連(むらじ)(御諸(みもろ)別命(わけのみこと)・稲(いな)依(より)別(わけ)命(のみこと)・竹野彦(たかのひこ)命(のみこと)・吉備(きび)津彦(つひこ)命(のみこと)・14代仲哀(ちゅうあい)天皇(てんのう)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)印(いな)葉(ばの)連(むらじ)(16代応(おう)神(じん)天(てん)皇(のう)だ。)や、②物(もの)部(のべの)山(やま)無(にの)連(むらじ)や、③物(もの)部(のべの)伊(い)与(よの)連(むらじ)や、④物(もの)部(のべの)故(こ)神(かみの)連(むらじ)や、⑤物(もの)部(のべの)大(おお)別(わけの)連(むらじ)(荒(あら)田(た)別(わけ)命(のみこと)・17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)たち5人がいた、というのだ。また、物(もの)部(のべの)胆(い)咋(くいの)宿(すく)禰(ね)(彦(ひこ)狭(さ)嶋(しま)命(のみこと)・13代成(せい)務(む)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)五(い)十(か)琴(こと)姫(ひめ)(神(じん)功(ぐう)皇(こう)后(ごう)だ。)や、②物(もの)部(のべの)五(い)十(か)琴(ことの)宿(すく)禰(ねの)連(むらじ)(荒(あら)田(た)別(わけ)命(のみこと)・17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)や、③物(もの)部(のべの)五(い)十(か)琴(こと)彦(ひこ)命(のみこと)(荒(あら)田(た)別(わけ)命(のみこと)・17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)や、④物(もの)部(のべの)竺(ちく)志(しの)連(むらじ)や、⑤物(もの)部(のべの)竹(たけ)古(この)連(むらじ)(荒(あら)田(た)別(わけ)命(のみこと)・17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)や、⑥物(もの)部(のべの)椋(くら)垣(かきの)連(むらじ)たち6人がいた、というのだ。 

そしてまた、物(もの)部(のべの)五(い)十(か)琴(ことの)宿(すく)禰(ねの)連(むらじ)(荒(あら)田(た)別(わけ)命(のみこと)・17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)伊(い)呂(ろ)弗(ふつの)連(むらじ)(初代田(た)道(みちの)君(きみ)・18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)や、②物(もの)部(のべの)麦(むぎ)入(いりの)宿(すく)禰(ねの)連(むらじ)(竹(たけ)葉(は)瀬(せの)君(きみ)・20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)だ。)や、③物(もの)部(のべの)石(いわ)持(もちの)連(むらじ)(初代田(た)道(みちの)君(きみ)・18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)・大(おお)伴(ともの)武(たけ)持(もちの)命(みこと)だ。)たち3人がいた、というのだ。また、物(もの)部(のべの)五(い)十(か)琴(こと)彦(ひこ)命(のみこと)(荒(あら)田(た)別(わけ)命(のみこと)・17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)目(め)古(この)連(むらじ)や、②物(もの)部(のべの)牧(まき)古(この)連(むらじ)たち2人がいた、というのだ。 

そしてまた、物(もの)部(のべの)伊(い)呂(ろ)弗(ふつの)連(むらじ)(初代田(た)道(みちの)君(きみ)・18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)布(ふ)都(つ)久(く)留(るの)連(むらじ)(真(ま)若(わかの)君(きみ)・22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)や、②物(もの)部(のべの)目(めの)大(おお)連(むらじ)(初代物(もの)部(のべの)目(めの)大(おお)連(むらじ)・奈(な)良(ら)別(わけ)命(のみこと)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)や、③物(もの)部(のべの)鍛(か)冶(じ)師(しの)連(むらじ)(真(ま)若(わかの)君(きみ)・22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)や、④物(もの)部(のべの)真(ま)椋(きょうの)連(むらじ)(真(ま)若(わかの)君(きみ)・22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)や、⑤物(もの)部(のべの)竺(ちく)志(しの)連(むらじ)(奈(な)良(ら)別(わけ)命(のみこと)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)たち5人がいた、というのだ。 

そしてまた、物(もの)部(のべの)麦(むぎ)入(いりの)宿(すく)禰(ねの)連(むらじ)(竹(たけ)葉(は)瀬(せの)君(きみ)・20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)大(おお)前(くまの)宿(すく)禰(ねの)連(むらじ)(中(なか)臣(とみの)鎌(かまの)大(おお)夫(まえつきみ)・紀(きの)韓(から)子(この)宿(すく)禰(ね)・21・24代安(あん)康(こう)・顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)だ。)や、②物(もの)部(のべの)小(を)前(さきの)宿(すく)禰(ねの)連(むらじ)(中(なか)臣(とみの)鎌(かまの)大(おお)夫(まえつきみ)・紀(きの)韓(から)子(この)宿(すく)禰(ね)・21・24代安(あん)康(こう)・顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)だ。)や、③物(もの)部(のべの)○辞(じの)連(むらじ)や、④物(もの)部(のべの)石(いわ)持(もちの)連(むらじ)たち4人がいた、というのだ。 

そしてまた、物(もの)部(のべの)布(ふ)都(つ)久(く)留(るの)連(むらじ)(真(ま)若(わかの)君(きみ)・22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)木(き)蓮(た)子(いの)連(むらじ)(中(なら)臣(とみの)塩(しお)屋(やの)宿(すく)禰(ね)・紀(きの)大(おお)磐(いわの)宿(すく)禰(ね)・25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)だ。)や、②物(もの)部(のべの)小(お)事(ことの)連(むらじ)や、③物(もの)部(のべの)多(た)波(はの)連(むらじ)たち3人がいた、というのだ。 

そしてまた、物(もの)部(のべの)木(き)蓮(た)子(いの)連(むらじ)(中(なら)臣(とみの)塩(しお)屋(やの)宿(すく)禰(ね)・紀(きの)大(おお)磐(いわの)宿(すく)禰(ね)・25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)麻(ま)佐(さ)良(らの)連(むらじ)(26代武(ぶ)烈(れつ)天(てん)皇(のう)だ。)や、②物(もの)部(のべの)目(めの)連(むらじ)(2代目物(もの)部(のべの)目(めの)連(むらじ)・中(なか)臣(とみの)黒(くろ)田(だの)大(おお)連(むらじ)・大(おお)伴(ともの)金(かな)村(むらの)大(おお)連(むらじ)・27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)や、③物(もの)部(のべの)長(なが)目(めの)連(むらじ)や、④物(もの)部(のべの)金(こがねの)連(むらじ)(中(なか)臣(とみの)黒(くろ)田(だの)大(おお)連(むらじ)・大(おお)伴(ともの)金(かな)村(むらの)大(おお)連(むらじ)・27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)や、⑤物(もの)部(のべの)呉(くれ)尼(ねの)連(むらじ)(蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)・29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)だ。)や、⑥物(もの)部(のべの)建(たて)彦(ひこの)連(むらじ)(蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)・29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)だ。)たち6人がいた、というのだ。 

そしてまた、物(もの)部(のべの)麻(ま)佐(さ)良(らの)連(むらじ)(26代武(ぶ)烈(れつ)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)麁(あら)鹿(か)火(ひの)連(むらじ)(28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)や、②物(もの)部(のべの)押(おし)甲(かふの)連(むらじ)(蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)・29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)だ。)たち2人がいたというのだ。しかしながら、これは、逆にする隠蔽工作なのだ。つまり物(もの)部(のべの)麻(ま)佐(さ)良(らの)連(むらじ)(26代武(ぶ)烈(れつ)天(てん)皇(のう)だ。)としては、物(もの)部(のべの)麁(あら)鹿(か)火(ひの)連(むらじ)(28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)の娘を娶った、ということなのだ。また、物(もの)部(のべの)麻(ま)佐(さ)良(らの)連(むらじ)(26代武(ぶ)烈(れつ)天(てん)皇(のう)だ。)の男系の子孫』としては、実際は、ここで断絶している、ということなのだ。 

さてそれでは、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)の御世に、大(おお)連(むらじ)ともなったという物(もの)部(のべの)目(めの)連(むらじ)(2代目物(もの)部(のべの)目(めの)連(むらじ)・中(なか)臣(とみの)黒(くろ)田(だの)大(おお)連(むらじ)・大(おお)伴(ともの)金(かな)村(むらの)大(おお)連(むらじ)・27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)麁(あら)鹿(か)火(ひの)連(むらじ)(28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)や、②物(もの)部(のべの)押(おし)甲(かふの)連(むらじ)(蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)・29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)だ。)や、③物(もの)部(のべの)荒(あら)山(やまの)連(むらじ)(蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)・29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)だ。)や、④物(もの)部(のべの)麻(ま)作(さくの)連(むらじ)たち4人の人物がいた、というのだ。 

また、物(もの)部(のべの)麁(あら)鹿(か)火(ひの)連(むらじ)(28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては①、物(もの)部(のべの)影(かげ)媛(ひめ)(実際は、26代武(ぶ)烈(れつ)天(てん)皇(のう)の正(せい)妃(ひ)の春(かす)日(がの)郎(いら)女(つめ)だ。)や、②甘(あま)美(み)姫(ひめ)(実際は、新羅(しらぎ)の猛(もう)将(しょう)に犯されたという実妹だ。また、29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)の元(もと)妃(ひ)だ。)がいた、ということなのだ。 

さてそれでは、③物(もの)部(のべの)荒(あら)山(やまの)連(むらじ)(蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)・29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)尾(お)輿(こしの)連(むらじ)(30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)・3代目の物(もの)部(のべの)目(めの)大(おお)連(むらじ)だ。)や、②物(もの)部(のべの)奈(な)流(るの)連(むらじ)たち2人がいた、というのだ。また、この物(もの)部(のべの)尾(お)輿(こしの)連(むらじ)(30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)大(おお)市(いちの)御(み)狩(かりの)連(むらじ)(31代敏(び)達(たつ)天(てん)皇(のう)だ。)や、②物(もの)部(のべの)守(もり)屋(やの)大(おお)連(むらじ)(32代用(よう)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)や、③物(もの)部(のべの)今(いま)木(き)金(かな)弓(ゆみ)若(わか)子(この)連(むらじ)(蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)・33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)や、④物(もの)部(のべの)連(むらじ)布(ふ)都(つ)姫(ひめの)夫(おお)人(とじ)(石(いその)上(かみの)夫(おお)人(とじ)だ。)や、⑤物(もの)部(のべの)石(いその)上(かみ)贄(にえ)古(この)連(むらじ)(蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)・33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)や、⑥物(もの)部(のべの)麻(ま)伊(い)古(この)連(むらじ)(蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)・33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)や、⑦物(もの)部(のべの)多(た)和(わ)髪(かみの)連(むらじ)(34代推(すい)古(こ)天(てん)皇(のう)だ。)たち7人がいた、というのだ。 

さてそれでは、初代物(もの)部(のべの)目(めの)大連(むらじ)(市(いちの)辺(べの)皇(み)子(こ)・御(み)馬(まの)皇(み)子(こ)・青(おう)海(みの)皇(み)子(こ)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)・平(へ)群(ぐりの)真(ま)鳥(どりの)大(おお)臣(まえつきみ)・大伴(おおともの)室屋(むろやの)大連(おおむらじ)・奈(な)良(ら)別(わけ)命(のみこと)・2代目太田(おおた)別(わけの)の田(た)道(みち)君(のきみ)だ。)なのだが、先(せん)代(だい)旧(く)事(じ)本(ほん)紀(き)』の巻第5の天(あまつ)孫(みまきの)本(もとつふ)紀(み)』で見てみれば、物(ものの)部(べの)目(めの)大(おお)連(むらじ)公(ぎみ) 此(この)連(むらじの)公(きみ)は、磐余(いわれ)甕(みか)栗宮(ぐりのみや)(23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)に、御宇(あめのしたしらす)天皇(すめらみかど)の御(み)世(よ)に大連(おおむらじ)と為(なり)て神宮(かみつみや)を齋(いつき)奉(まつ)る。』とも伝えいるからして、この初代物(もの)部(のべの)目(めの)大(おお)連(むらじ)である奈(な)良(ら)別(わけの)命(みこと)こそが、23代清(せい)寧(ねい)天皇(てんのう)の実像なのだ。 

つまり初代物(もの)部(のべの)目(めの)大(おお)連(むらじ)(奈(な)良(ら)別(わけの)命(みこと)・23代清(せい)寧(ねい)天皇(てんのう)だ。)の子としては、その実子の①25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)(物(ものの)部(べの)木(き)蓮(た)子(ひの)大(おお)連(むらじ)・紀(きの)大(おお)磐(いわの)宿(すく)禰(ね)・中(なか)臣(とみの)塩(しお)屋(やの)宿(すく)禰(ね)だ。)や、その実姉の②飯(いい)豊(とよの)青(あおの)皇(ひめ)女(みこ)(毛(け)野(の)姫(ひめ)・高(たか)姫(ひめ)・豊(とよ)姫(ひめ)・難波(なにわ)の小野(おの)姫(ひめ)だ。)や、その夫の③24代顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)(ヲケ(をけの)王(みこ)・紀(きの)韓(から)子(の)宿(すく)禰(ね)・中(なか)臣(とみの)鎌(かまの)大(おお)夫(まえつきみ)だ。)や、そしてまた、この初代物(もの)部(のべの)目(めの)大(おお)連(むらじ)(実際は奈(な)良(ら)別(わけの)命(みこと)・23代清(せい)寧(ねい)天皇(てんのう)・若(わか)倭(やまと)部(べ)長(なが)井(い)原(はら)命(のみこと)・若(わか)倭(やまと)部(べ)奈(な)良(ら)原(はら)命(のみこと)だ。)の後(ご)妃(ひ)である宇津(うつ)姫(ひめ)(実際は、姉の宇津(うつ)志(し)姫(ひめ)・稚(わか)足(たらし)姫(ひめ)・2代目振(ふり)姫(ひめ)・22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)の娘だ。)のもうけた娘である④手(て)白(しら)香(かの)皇(ひめ)女(みこ)(27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)の先(せん)妃(ぴ)の皇(こう)后(ごう)である若(わか)姫(ひめ)・若(わか)幡(はた)姫(ひめ)だ。)や、その夫の⑤27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)(2代目の物(もの)部(のべの)目(めの)連(むらじ)・近(おう)江(みの)毛(け)野(の)だ。)たち5人の出自が隠されている、ということなのだ。また、実子で長男の25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)と、22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)の娘の春(かす)日(がの)大(おお)娘(いらつめ)(妹の糖(ぬか)君(きみの)娘(いらつめ)だ。)との2人の間に、そのもうけた娘としては、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)の後(ご)妃(ひ)である手(て)白(しら)髪(かみの)皇(ひめ)女(みこ)(尾(お)張(わりの)連(むらじ)草(くさ)香(か)や、氷(ひ)室(むろ)兼(かね)平(ひら)の娘の目(め)子(こ)姫(ひめ)・都(つ)夫(ぶ)羅(ら)古(こ)姫(ひめ)だ。)の出自も隠されている、ということなのだ。 

そしてまた、24代顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)(ヲケ(をけの)王(みこ)・紀(きの)韓(から)子(の)宿(すく)禰(ね)・中(なか)臣(とみの)鎌(かまの)大(おお)夫(まえつきみ)だ。)と、飯(いい)豊(とよ)青(あおの)皇(ひめ)女(みこ)(実際は、毛(け)野(の)姫(ひめ)・高姫(たかひめ)・豊(とよ)姫(ひめ)・難波(なにわ)の小野(おの)姫(ひめ)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)の娘だ。)との2人の間に、そのもうけた実子としては、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)や、その実弟の28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)たち2人がいた、ことなども隠されているのだ。そのために、但(たじ)馬(ま)物(もの)部(のべ)氏(し)の系譜』で見てみれば、初代物(もの)部(のべの)目(めの)大(おお)連(むらじ)(奈(な)良(ら)別(わけの)命(みこと)・23代清(せい)寧(ねい)天皇(てんのう)だ。)から、2代目物(もの)部(のべの)目(めの)連(むらじ)の27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)(実際は、中(なか)臣(とみの)黒(くろ)田(だの)大(おお)連(むらじ)・大(おお)伴(ともの)金(かな)村(むらの)大(おお)連(むらじ)・近(おう)江(みの)毛(け)野(の)だ。)の系譜に、一気に飛んでいて、すり替わっている、ということなのだ。 

また、このすり替わった27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)(2代目物(もの)部(のべの)目(めの)連(むらじ)・・近(おう)江(みの)毛(け)野(の)だ。)の子孫としては、①物(もの)部(のべの)金(こがねの)連(むらじ)や、②物(もの)部(のべの)三(み)楯(たての)連(むらじ)や、③物(もの)部(のべの)臣(おみ)竹(たけの)連(むらじ)や、④物(もの)部(のべの)倭(やまと)古(この)連(むらじ)(蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)・29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)だ。)や、⑤物(もの)部(のべの)塩(しお)古(この)連(むらじ)や、⑥物(もの)部(のべの)金(かね)古(この)連(むらじ)(30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)や、⑦物(もの)部(のべの)阿(あ)遅(じ)古(この)連(むらじ)(30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)たち7人の兄弟がいた、というのだ。しかしながら、同一人物を複数の人物に増やし、混乱させる隠蔽手法なのだ。つまり実際は、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)の長女(青(おう)海(みの)夫(と)人(じ)勾(まがり)子(こ)だ。 )のむこである物(もの)部(のべの)麁(あら)鹿(か)火(ひの)連(むらじ)(28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、実子で次男の物(もの)部(のべの)荒(あら)山(やまの)連(むらじ)(物(もの)部(のべの)押(おし)甲(かふの)連(むらじ)・蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)・29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)だ。)や、同じ、実子で長男で皇(こう)后(ごう)(先(せん)妃(ぴ)だ。)の生んだ異母兄である物(もの)部(のべの)尾(お)輿(こしの)連(むらじ)(30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)たち3人がいた、ということなのだ。 

さてそれでは、物(もの)部(のべの)荒(あら)山(やまの)連(むらじ)(蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)・29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、~物(もの)部(のべの)尾(お)輿(こしの)連(むらじ)(実際は娘むこの30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)なのだ。また、この物(もの)部(のべの)尾(お)輿(こしの)連(むらじ)(30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、~①物(もの)部(のべの)大(おお)市(いち)御(み)狩(かりの)連(むらじ)(31代敏(び)達(たつ)天(てん)皇(のう)だ。)や、②物(もの)部(のべの)守(もり)屋(やの)大(おお)連(むらじ)(32代用(よう)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)や、③物(もの)部(のべの)贄(にえ)子(この)連(むらじ)(実際は、娘むこの蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)・33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)たち3人がいた、ということなのだ。 

さてそれでは、ごく最近、お手紙を頂いたのだが、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)の皇(こう)后(ごう)(先(せん)妃(ぴ)だ。)である手(て)白(しら)香(かの)皇(ひめ)女(みこ)や、後(ご)妃(ひ)である手(て)白(しら)髪(かみの)皇(ひめ)女(みこ)たち2人については、同一人物ではないか?というお手紙(愛知県一宮市(いちのみやし)の方からだ。)を頂戴したのだ。しかしながら、実際としては、古(こ)事(じ)記(き)』や日(に)本(ほん)書(しょ)紀(き)』では、敢えて、隠蔽工作を仕組んでいるために、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)の出自を混乱させている、ということなのだ。そこで、先(せん)妃(ぴ)である手(て)白(しら)香(かの)皇(ひめ)女(みこ)と、後(ご)妃(ひ)である手(て)白(しら)髪(かみの)皇(ひめ)女(みこ)とが、別人である証(しょう)拠(こ)としては、まず、第1としては、最も信(しん)憑(ぴょう)性(せい)のおける先(せん)代(だい)旧(く)事(じ)本(ほん)紀(き)』の中の、卷第9帝(みかど)皇(すめらぎ)本(ほん)紀(ぎ)』の欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)の条を見れば、天(あまの)国(くに)排(をし)開(ひらき)廣(ひろ)庭(にわ)尊(のみこと)(30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)。男(お)大(お)迹(とどの)天(すめら)皇(みこと)(27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)の嫡子なり。母は皇后、手(て)白(しら)香(かの)皇(ひめ)女(みこ)と曰す。清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)の皇女なり。天皇之を愛て、常に左右に置きたまふ。』とも明確に伝えるからなのだ。また、第2としては、この一文の裏付けだが、但(た)馬(じま)故(こ)事(じ)記(き)』の中の、美(み)含(い)郡(ぐん)故(こ)事(じ)記(き)』を見れば、人皇25代仁(にん)賢(けん)天皇(てんのう)2年秋8月 桑(くわ)原(はらの)臣(おみ)多(た)奇(け)市(し)(27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)は、其の父、久(く)邇(に)布(ふ)命(のみこと)(24代顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)だ。)を桑(くわ)原(はら)邑(むら)に祀り桑(くわ)原(はら)神(じん)社(じゃ)と謂う。崇(す)神(じん)天(てん)皇(のう)は、紀(き)伊(いの)国(くに)那(な)珂(か)郡(ぐん)荒(あら)川(かわ)刀(と)弁(べ)命(のみこと)の女(むすめ)、遠(とお)津(つ)綾(あや)日(ひ)真(ま)細(ほそ)姫(ひめ)命(のみこと)を娶り、豊(とよ)城(き)入(いり)彦(ひこ)命(のみこと)(娘むこの12代景(けい)行(こう)天(てん)皇(のう)だ。)を生み給う。豊(とよ)城(き)入(いり)彦(ひこ)命(のみこと)は、八(や)綱(つな)田(だ)命(のみこと)(倭(やまと)武(たける)尊(のみこと)だ。)を生み、彦(ひこ)狭(さ)島(しま)命(のみこと)(娘むこの13代成(せい)務(む)天(てん)皇(のう)だ。)は、荒(あら)田(た)別(べつ)命(のみこと)(長男の17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)を生む。大(おお)荒(あら)田(た)別(わけ)命(のみこと)(17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)は、竹(たけ)野(の)別(わけ)命(のみこと)(16代応(おう)神(じん)天(てん)皇(のう)だ。)の女(むすめ)、宇(う)日(ひ)比(ひ)売(め)命(のみこと)(宇(う)田(だ)姫(ひめ)だ。)を娶り、多(た)奇(け)波(は)世(せ)命(のみこと)(長男の20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)だ。)・太(おお)多(た)別(わけの)命(みこと)を生(娘むこの18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)む。多(た)奇(け)波(は)世(せ)命(のみこと)(20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)だ。)は、若(わか)倭(やまと)部(べ)青(あお)島(しま)命(のみこと)(18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)の女(むすめ)、舟(に)生(う)命(のみこと)(2世丹(に)生(う)津(つ)姫(ひめ)だ。)を娶り、竹(たけ)努(ぬ)乃(の)命(みこと)(娘むこの22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)を生(娘むこだ。)む。竹(たけ)努(ぬ)乃(の)命(みこと)(22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)は、河(かわ)会(い)命(のみこと)(20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)だ。)の女、狭(さ)山(やま)姫(ひめ)命(のみこと)(韓(から)姫(ひめ)だ。)を娶り、多(た)久(く)比(ひ)命(のみこと)(長女のむこの23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)を生(娘むこだ。)む。多(た)久(く)比(ひ)命(のみこと)(23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)は、宇(う)津(づ)毘(ひ)古(こ)命(のみこと)(22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)の女(むすめ)、宇(う)津(つ)比(ひ)売(め)命(のみこと)(長女だ。)を娶り、多(た)奇(け)市(し)命(のみこと)(娘むこの27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)を生む。多(た)奇(け)市(し)(27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)は、雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)8年夏6月 皇(こう)后(ごう)のための桑樹を大和の初(はっ)瀬(せ)朝(あさ)倉(くらの)広(ひろ)原(はら)に作る。故れ桑(くわ)原(はらの)臣(おみの)姓(せい)を賜うなり。』と伝えているからなのだ。また、但(たじ)馬(ま)国(こく)司(し)文(もん)書(じょ)・但(たじ)馬(ま)神(じん)社(じゃ)系(けい)譜(ふ)伝(でん)』の中の、美(み)含(い)郡(ぐん)神(じん)社(じゃ)系(けい)譜(ふ)伝(でん)』で見れば、人皇25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)の2年(493年頃だ。)秋8月、桑(くわ)原(はらの)臣(おみ)命(のみこと)(27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)は久(く)邇(に)布(ふ)命(のみこと)(24代顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)だ。)を竹(たけ)野(の)郷(ごう)に祀る。桑(くわ)原(はらの)臣(おみ)(27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)は、若(わか)倭(やまと)部(べ)長(なが)井(い)原(はら)(23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)の女(むすめ)・若(わか)姫(ひめ)命(のみこと)(手(て)白(しら)香(かの)皇(ひめ)女(みこ)・若(わか)幡(はた)姫(ひめ)だ。)を娶り、佐(さ)自(じ)努(ぬ)命(のみこと)(30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)を生む。」とも伝えるからなのだ。また、佐(さ)自(じ)努(ぬ)命(のみこと)の系譜』で見れば、①崇(す)神(じん)天(てん)皇(のう)~②豊(とよ)城(き)入(いり)彦(ひこ)命(のみこと)(12代景(けい)行(こう)天(てん)皇(のう)だ。)~③八(や)綱(つな)田(だの)命(みこと)(長男の倭(やまと)武(たける)尊(のみこと)だ。)~④彦(ひこ)狭(さ)嶋(しま)命(のみこと)(娘むこの息(おき)長(なが)宿(すく)禰(ね)王(のみこ)・13代成(せい)務(む)天(てん)皇(のう)だ。)~⑤大(おお)荒(あら)田(た)別(わけ)命(のみこと)(長男の17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。その妃(きさき)は、竹(たけ)野(の)彦(ひこ)命(のみこと)の女(むすめ)、宇(う)日(ひ)毘(ひ)売(め)命(のみこと)だ。)~⑥多(た)奇(け)波(は)世(せの)君(きみ)(20代允(いん)恭(ぎょう)天(てん)皇(のう)だ。その妃(きさき)は、青(あお)島(しま)命(のみこと)の女(むすめ)、若(わか)山(やま)姫(ひめ)命(のみこと)亦名丹(に)生(う)津(つ)姫(ひめ)命(のみこと)だ。)~⑦多(た)久(く)比(ひ)命(のみこと)(23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。その妃(きさき)は、宇(う)都(づ)志(し)彦(ひこ)命(のみこと)の女(むすめ)、宇(う)都(つ)志(し)姫(ひめ)だ。)~⑧久(く)原(はら)布(ふ)命(のみこと)(24代顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)だ。その妃(きさき)は、大(おお)野(の)乃(の)命(みこと)の女(むすめ)、高(たか)毘(ひ)売(め)命(のみこと)だ。)~⑨桑(くわ)原(はらの)臣(おみ)多(た)奇(け)市(し)命(のみこと)(27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。その妃(きさき)は、長(なが)井(い)彦(ひこ)命(のみこと)の女、若(わか)幡(はた)姫(ひめ)だ。)~⑩佐(さ)自(じ)努(ぬ)命(のみこと)(30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。その妃(きさき)は、綺(かむ)秦蔵(はたのくら)公(ぎみ)の女(むすめ)、綺(かむはた)腠(ちぎり)姫(ひめ)・蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)の娘の小(こ)石(いし)姫(ひめ)だ。)~⑪佐(さ)受(じゅ)地(ち)命(のみこと)(次男の佐(さ)須(す)地(ちの)公(みこ)・32代用(よう)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)~⑫香(か)住(すみ)彦(ひこ)命(のみこと)(次男の久米皇子・田(た)目(めの)皇(み)子(こ)だ。)や、また、⑫佐(さ)自(じ)努(ぬの)公(きみ)花(はな)登(と)麿(まろ)(次男の久米皇子・田(た)目(めの)皇(み)子(こ)だ。)とも伝えているのだ。つまり宇(う)津(づ)毘(ひ)古(こ)命(のみこと)(22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)の女(むすめ)、宇(う)津(つ)比(ひ)売(め)命(のみこと)(宇津(うつ)姫(ひめ)・宇津(うつ)志(し)姫(ひめ)・稚(わか)足(たらし)姫(ひめ)・振(ふり)姫(ひめ)だ。)を、多(た)久(く)比(ひ)命(のみこと)(奈(な)良(ら)別(わけの)命(みこと)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)・若(わか)倭(やまと)部(べ)長(なが)井(い)原(はら)命(のみこと)・若(わか)倭(やまと)部(べ)奈(な)良(ら)原(はら)命(のみこと)だ。)こそが、その後(ご)妃(ひ)(先妃(せんぴ)は、22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)の実妹の角(つの)姫(ひめ)だ。)として娶り、多(た)奇(け)市(し)命(のみこと)(27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)を生(実際は、娘の若(わか)姫(ひめ)・若(わか)幡(はた)姫(ひめ)・手(て)白(しら)香(かの)皇(ひめ)女(みこ)のむこだ。)む、ということだからなのだ。また、第3としては、この文章の裏付けとして真(ま)清(すみ)探(たん)當(とう)證(しょう)』を見てみれば、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)とは、24代顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)こそが、彦(ひこ)主(う)人(しの)王(みこ)(23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)の娘の豊(とよ)姫(ひめ)(難波(なにわ)の小野(おの)姫(ひめ)・毛(け)野(の)姫(ひめ)だ。)との2人の間に、そのもうけた実子とも伝えているのだ。また、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)は、尾(お)張(わりの)連(むらじ)草(くさ)香(か)の娘の目子(めのこ)姫(ひめ)を娶り、28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)(実際は、娘むこだ。)と、29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)を生む、とも伝えているのだ。また、手(て)白(しら)香(かの)皇(ひめ)女(みこ)(若(わか)姫(ひめ)・若(わか)幡(はた)姫(ひめ)・実父の名を明らかにしていない。)を娶り、30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)を生む、とも伝えているのだ。つまり24代顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)の長男こそが、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)であれば、その先(せん)妃(ぴ)の手(て)白(しら)香(かの)皇(ひめ)女(みこ)(若(わか)姫(ひめ)・若(わか)幡(はた)姫(ひめ)だ。)とは、23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)(若(わか)倭(やまと)部(べ)長(なが)井(い)原(はら)命(のみこと)・若(わか)倭(やまと)部(べ)奈(な)良(ら)原(はら)命(のみこと)・彦(ひこ)主(う)人(しの)王(みこ)だ。)の皇女である、ということなのだ。なぜならば、記(き)紀(き)』では、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)の父としては、彦(ひこ)主(う)人(しの)王(みこ)(実際は23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)というからだ。しかしながら、実際としては、舅(しゅうと)である、ということなのだ。そしてまた、尾(お)張(わりの)連(むらじ)草(くさ)香(か)の実像こそが25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)なのだ。つまりその娘としては、実際は、後(ご)妃(ひ)の手(て)白(しら)髪(かみの)皇(ひめ)女(みこ)である、ということなのだ。また、29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)の実姉としては、28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)の後(ご)妃(ひ)の青(おう)海(みの)夫(と)人(じ)勾(まがり)子(こ)なのだ。なぜならば、但(た)馬(じま)故(こ)事(じ)記(き)』の中の、国司(こくし)文書(もんじょ)・古事大観録』の中の、2の3・第3秦氏帰化・養蚕製糸等の記録―仲哀朝より清寧朝までー』で見れば、久(く)邇(に)都(つの)公(きみ)(28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)は、久(く)邇(に)布(ふ)命(のみこと)(24代顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)だ。)を齋き祀り、村国(むらくに)主(ぬし)と称し、屋(や)代(しろ)桑(くわ)原(はら)神(じん)社(じゃ)という。久(く)邇(に)都(つの)公(みこ)(実際は、28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)は、久(く)邇(に)布(ふ)命(のみこと)(実際は、24代顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)だ。)の御子(次男だ。)にして、多(た)奇(け)市(しの)公(みこ)(27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)の子(娘むこだ。)となる異母弟(実際は同(どう)母(はは)弟(おとうと)で異母妹の夫だからだ。)なり。ともに桑(くわ)原(はらの)臣(おみ)の姓を負う。』とも伝えているからなのだ。 

さてそれでは、大(おお)伴(とも)氏(し)の系譜』●『近世末期に編纂者不明の「系図纂要」という大部の系譜集成』を見てみれば、①大(おお)伴(ともの)談(かたる)(実際は中(なか)臣(とみの)鎌(かまの)大(おお)夫(まえつきみ)・紀(きの)韓(から)子(この)宿(すく)禰(ね)・21・24代安(あん)康(こう)・顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、大(おお)伴(ともの)金(かな)村(むら)(実際は中(なか)臣(とみの)黒(くろ)田(だの)大(おお)連(むらじ)・27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)歌(うたの)連(むらじ)(実際は28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)たち2人の人物がいたのだ。また、①大(おお)伴(ともの)歌(うたの)連(むらじ)(は28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、②平(ひら)古(こ)曾(そ)(娘の甘(あま)美(み)姫(ひめ)のむこの蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)・29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)だが、これも隠蔽されているのだ。)~③平(ひら)彦(ひこ)(蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)・33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)~④伊(い)能(のの)直(あたい)(娘むこの久米皇子・田(た)目(めの)皇(み)子(こ)・蘇(そ)我(がの)蝦(えみ)夷(しの)大(おお)臣(おみ)・阿(あ)倍(べの)倉(くら)梯(はし)麻(ま)呂(ろ)だ。)~⑤大人(うし)(次男の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・大(おお)伴(ともの)宿禰(すくね)御(み)行(ゆき)・大(おお)伴(ともの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)・海部(あまべの)直(あたい)伍(い)佰(お)道(みち)だ。)~⑥枳(し)都(と)(長男の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)成(なり)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)池(いけ)吉(よし)だ。)~⑦男(お)足(たり)(娘むこの中(なか)臣(ともの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麿(まろ)卿(きょう)だ。)~⑧田(た)公(きみ)(長男の大(おお)伴(ともの)継(つぐ)人(ひと)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)古(ふる)人(ひと)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)豊(とよ)長(なが)・大(おお)中(なか)臣(とみの)諸(もろ)魚(うお)・巨(こ)勢(せの)野(の)足(たり)だ。)~⑨道長(みちなが)(娘むこの坂(さかの)上(うえの)大(おお)忌(いみ)寸(き)田(た)村(むら)麻(ま)呂(ろ)だ。)~⑩空(くう)海(かい)(娘むこだ。)や、また、⑩女~円(えん)珍(ちん)たちがいたとも、この系譜は伝えているのだ。 

そしてまた、●第4としては、但(たじ)馬(ま)物(もの)部(のべ)氏(し)の系譜』を見れば、初代物(もの)部(のべの)目(めの)大(おお)連(むらじ)(奈(な)良(ら)別(わけの)命(みこと)・23代清(せい)寧(ねい)天皇(てんのう)だ。)を消し、2代目物(もの)部(のべの)目(めの)連(むらじ)(27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)に、一気に系譜を飛ぶばすことによって、隠蔽や混乱を図っている、ということなのだ。 

さてそれでは、この書の中の歴代天皇の代数ですが、但(たじ)馬(ま)故(こ)事(じ)記(き)』の中の人皇15代神(じん)功(ぐう)皇(こう)后(ごう)』の記載を、そのまま認めたからなのだ。そしてまた、30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)とは、532年に、金(きん)官(かん)加(か)羅(ら)国(こく)から亡命してきた国王の金(きん)仇(きゅう)亥(がい)という説ですが、この金(きん)仇(きゅう)亥(がい)の実像としては、初代金(きん)首(す)露(ろ)王(おう)が、金官(きんかん)伽耶(かや)を治める初代の王ともなってから、10代目の仇(く)衛(ひょん)王(おう)(在位期間はAD521~532年だ。)とも同一人物なのだ。つまり10代目仇(く)衛(ひょん)王(おう)(金(きん)仇(きゅう)亥(がい)だ。)の実像としては、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)なのだ。また、同時在位の百済(くだら)王(おう)の25代武(む)寧(りょん)王(おう)(2代目物(もの)部(のべの)目(めの)連(むらじ)・大(おお)伴(ともの)金(かな)村(むらの)大(おお)連(むらじ)だ。)である、ということなのだ。また、25代武(む)寧(りょん)王(おう)が27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)として我が国に帰還された時期としては、523年なのだ。つまり武(ぶ)寧(ねい)王(おう)が没した年、523年に斯(し)我(がの)君(きみ)として、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)の25代武(む)寧(りょん)王(おう)こそが、我が国へ一時帰還した、ということなのだ。また、その実像としては、道説(どうせつ)智(ち)王(おう)や、近(おう)江(みの)毛(け)野(のの)臣(おみ)なのだ。そしてまた、16世、6世紀前半頃(520年頃だ。)までは、本大加耶(ほんおおかや)国(こく)(泊(はく)済(ら)国(こく)の百済(くだら)国(こく)だ。)や、大(おお)加(か)耶(や)国(こく)(馬(ば)韓(はん)の月支(げっし)国(こく)や、高(こ)霊(りょん)地方だ。)を支配した、ということなのだ。また、その本拠地としては、金官(きんかん)伽耶(かや)(任那(みまな)地域だ。)や、大加耶(おおかや)国(こく)(月支(げっし)国(こく)・中心地は、木(も)浦(っぽ)市(し)地域だ。)なのだ。また、本(ほん)大(おお)加(か)耶(や)国(こく)(百済(くだら)国(こく)の中心地は、慰(うぃ)礼(れ)城(じょう)・熊(うん)津(じん)城(じょう)の地域だ。)には、当時の辰(しん)王(おう)(天皇の代理者である金(きん)官(かん)加(か)羅(ら)王(おう)だ。)の更に、代理者がいた、ということなのである。 

そしてまた、25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)とは、真(ま)清(すみ)田(だ)神(じん)社(じゃ)の宮(ぐう)司(じ)の甥だそうですが、『真(ま)清(すみ)探(たん)當(とう)證(しょう)』を見れば、この宮(ぐう)司(じ)家(け)とは、葦(あし)田(だの)宿(すく)禰(ね)(実際は、3代目葦(あし)田(だの)宿(すく)禰(ね)である22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)なのだ。また、その娘こそが春(かす)日(が)媛(ひめ)(春(かす)日(がの)大(おお)娘(いらつめ)だ。)なのだ。また、25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)(23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)の長男だ。)とは、宮(ぐう)司(じ)の甥で娘むこに該当する人物である。そしてまた、『真(ま)清(すみ)探(たん)當(とう)證(しょう)』とは、実際は、『古(こ)事(じ)記(き)』や、『日(に)本(ほん)書(しょ)紀(き)』の隠蔽工作を補足するための資料として、用意周到に創作された書物なのだ。そのために、2皇子の逃走の逸話とは、フィクションなのだ。また、韓(かん)半島に滞在したことを隠すために仕組まれたのだ。そしてまた、真(ま)清(すみ)田(だ)神(じん)社(じゃ)のはじめの祭神とは、黒(くろ)田(だ)明(みょう)神(じん)と呼ばれる黒(くろ)田(だの)大(おお)彦(ひこ)命(のみこと)(大(おお)彦(ひこ)命(のみこと)だ。)なのだ。また、初代葦(あし)田(だの)宿(すく)禰(ね)とは、17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)(荒(あら)田(た)別(わけの)命(みこと)だ。)なのだ。また、2代目葦(あし)田(だの)宿(すく)禰(ね)とは、蟻(ありの)臣(おみ)の初代田(た)道(みちの)君(きみ)である18・19代履中(りちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)なのだ。また、27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)とは、中(なか)臣(とみの)黒(くろ)田(だの)大(おお)連(むらじ)や、桜(さくら)木(ぎの)皇(み)子(こ)なのだ。また、宮(ぐう)司(じ)家(け)の3代目の葦(あし)田(だの)宿(すく)禰(ね)(22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)のとき、黒(くろ)田(だの)大(おお)神(かみ)(大(おお)彦(ひこ)命(のみこと)だ。)から、真(ま)清(すみ)田(だ)大(のおお)神(かみ)に変更になったのは、22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)とも深く関わる土地柄だからなのだ。また、越(えち)前(ぜん)大(おお)野(の)市(し)(23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)・愛知県海(あ)部(ま)郡(ぐん)甚(じ)目(もく)寺(じ)町(ちょう)の新(にい)屋(や)天(てん)神(じん)社(しゃ)の物(もの)部(のべの)竺(ちく)志(しの)連(むらじ)・初代物(もの)部(のべの)目(めの)大(おお)連(むらじ)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)と関わる地域だ。 )など、この2人の古代天皇と深く関わる地域なのだ。そしてまた、真(ま)清(すみ)田(だ)神(じん)社(じゃ)になったのは、真(ま)若(わかの)君(きみ)・中(なか)臣(とみの)真(ま)人(ひとの)大(おお)連(むらじ)(22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)の『真(ま)』と、23代清(せい)寧(ねい)天皇(てんのう)の『清(すみ)』と、この2人の古代天皇の実父の初代田(た)道(みちの)君(きみ)の18・19代履中(りちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)の『田(た)』を繋げれば、真(ま)清(すみ)田(だ)神(じん)社(じゃ)なのだ。また、我が国最大の古墳である大(だい)仙(せん)陵(りょう)古(こ)墳(ふん)(墳丘486㍍・大阪府堺市(さかいし)だ。)としては、この初代田(た)道(みちの)君(きみ)である18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)の御陵(ごりょう)なのだ。つまり当時の中心基盤の1つとは、この愛知県一宮市(いちのみやし)の地域である、ということなのだ。 

さてそれでは、『但(たじ)馬(ま)物(もの)部(のべ)氏(し)の系譜』の中の、物(もの)部(のべの)阿(あ)遅(じ)古(この)連(むらじ)である30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)(物(もの)部(のべの)尾(お)輿(こしの)連(むらじ)だ。)以後の系譜についても、別の『物(もの)部(のべ)氏(し)の系譜』で見てみれば、~①物(もの)部(のべの)大(おお)市(いちの)御(み)狩(かりの)連(むらじ)(実際は、31代敏(び)達(たつ)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、②物(もの)部(のべの)目(め)(実際は久米皇子・田(た)目(めの)皇(み)子(こ)・阿(あ)倍(べの)倉(くら)梯(はし)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)部(べの)引(ひけ)田(たの)比(ひ)羅(ら)夫(ふ)だ。)~③物(もの)部(のべの)字(うし)麿(まろ)(実際は阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)・小(お)野(のの)毛(え)人(みし)だ。)~④物(もの)部(のべの)麻呂(まろ)(実際は娘むこの石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)・三(み)輪(わの)君(きみ)根(ね)麻(ま)呂(ろ)・有(あり)馬(まの)皇(み)子(こ)だ。)~⑤物(もの)部(のべの)乙(おと)麿(まろ)(石(いその)上(かみの)乙(おと)麻(ま)呂(ろ)・石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・百(く)済(だら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)・初代国(こく)学(がくの)頭(かしら)の文(あや)部(べの)息(おく)道(みち)だ。)~物(もの)部(のべの)宅(やか)嗣(つぐ)(娘むこの阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)宅(やか)成(なり)・楊(や)侯(この)史(ふひと)真(まさ)身(み)・大(おお)石(いしの)宿(すく)禰(ね)正(まさ)躬(み)だ。)や、また、⑤物(もの)部(のべの)東(あずま)人(びと)(石(いその)上(かみの)乙(おと)麻(ま)呂(ろ)・石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・百(く)済(だら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)・初代国(こく)学(がくの)頭(かしら)の文(あや)部(べの)息(おく)道(みち)だ。)~⑥物(もの)部(のべの)家(やか)成(なり)(娘むこの阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)宅(やか)成(なり)・楊(や)候(この)史(ふひと)真(まさ)身(み)・大(おお)石(いしの)宿(すく)禰(ね)正(まさ)躬(み)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)大(おお)川(かわ)だ。)たち6人の人物がいた、というのだ。 

さてそれでは、次に、●『鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)家(か)伝(でん)』の『禰宜(ねぎ)次第(しだい)』で見てみれば、大(おお)伊(い)乃(の)伎(ぎ)命(のみこと)(実際は12代景(けい)行(こう)天(てん)皇(のう)だ。)~伊奈(いな)世(せの)命(みこと)(倭(やまと)武(たける)尊(のみこと)だ。)や、小(お)屋(や)奈(な)世(せの)命(みこと)(倭(やまと)武(たける)尊(のみこと)だ。)たち2人がいた、というのだ。そしてまた、伊奈(いな)世(せの)命(みこと)(倭(やまと)武(たける)尊(のみこと)だ。)の子孫としては、~①大(おお)止(と)知(ち)命(のみこと)(実際は彦(ひこ)狭(さ)嶋(しま)命(のみこと)・13代成(せい)務(む)天(てん)皇(のう)だ。)~②兄(え)人(ひと)之(の)知(ち)命(のみこと)(御(み)諸(もろ)別(わけ)命(のみこと)・14代仲(ちゅう)哀(あい)天(てん)皇(のう)だ。)~③止(と)知(ち)与(よ)(17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)~④与(よ)之(の)比(ひ)古(こ)(初代田(た)道(みちの)君(きみ)・18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)~⑤千(みち)雄(お)(22代雄(ゆう)略(りゃく)天(てん)皇(のう)だ。)~⑥千(ち)治(じ)良(ら)(25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)だ。)~⑦可(か)茂(もの)山(やま)守(もり)(27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)~⑧広(ひろ)津(つ)之(の)身(み)(29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)だ。)~⑨賀(か)止(と)弖(たて)(33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天皇(てんのう)・蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)だ。)~⑩山(やま)基(き)主(ぬし)(中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)・鴨(かもの)小(お)黒(ぐろ)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、次に、⑩久(く)治(じ)良(ら)(阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)だ。)たちの人物がいた、というのだ。そしてまた、小(お)屋(や)奈(な)世(せ)命(のみこと)(倭(やまと)武(たける)尊(のみこと)だ。)の子孫としては、小(お)止(と)知(ち)命(のみこと)(彦(ひこ)狭(さ)嶋(しま)命(のみこと)・13代成(せい)務(む)天(てん)皇(のう)だ。)や、伊(い)多(た)幣(への)足(すく)尼(ね)命(のみこと)(御(み)諸(もろ)別(わけ)命(のみこと)・14代仲(ちゅう)哀(あい)天(てん)皇(のう)だ。)や、小(こ)二(に)目(め)命(のみこと)(16代応(おう)神(じん)天(てん)皇(のう)だ。)たち3人がいた、というのだ。 

そしてまた、久(く)治(じ)良(ら)(阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)だ。)の子孫としては、~黒(くろ)彦(ひこ)命(のみこと)(娘むこの石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、また、秦(はたの)都(つ)理(り)(大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)牛(うま)養(かい)だ。)や、また、五(い)百(お)依(より)(中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・巨勢(こせの)朝(あそ)臣(み)祖父(おおじ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)三(み)千(ちち)だ。)や、また、伊(い)呂(ろ)具(ぐ)(韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)・大納言大(おお)伴(ともの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)だ。)たち4人がいた、というのだ。 

そしてまた、黒(くろ)彦(ひこ)命(のみこと)(石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)だ。)の子孫としては、~鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)吉(き)備(び)麻(ま)呂(ろ)(石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)忍(おし)人(ひと)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)・初代国(こく)学(がくの)頭(かしら)の文(あや)部(べの)息(おく)道(みち)だ。)がいたというのだ。そしてまた、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)吉(き)備(び)麻(ま)呂(ろ)(石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)忍(おし)人(ひと)・初代国(こく)学(がくの)頭(かしら)の文(あや)部(べの)息(おく)道(みち)だ。)の子孫としては、~①鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)豊国(とよくに)(娘むこの大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)伊(い)可(か)保(ほ)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)田(た)麿(まろ)・阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)・2代目大(おお)伴(ともの)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・和(わ)気(けの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麿(まろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)大(おお)川(かわ)・2代目国(こく)学(がくの)頭(かしら)の文(あや)部(べの)良(よし)道(みち)・大(だい)学(がくの)頭(かみ)の菅(すが)野(のの)真(ま)道(みち)だ。)~②○○(実際は大(おお)神(みわの)朝(あそさ)臣(み)三(み)支(し)だ。)~③○○や、また、①主(しゅ)国(くに)(娘むこの大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)弟(おと)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)弟(おと)麻(ま)呂(ろ)だ。)~蓑(みの)や、②馬(うま)蓑(みの)。③目代(もくだい)たちがいた、というのだ。そしてまた、馬(うま)蓑(みの)の子孫としては、①氏(うじ)主(ぬし)~②広(ひろ)雄(お)~③永(なが)主(ぬし)~④時(とき)主(ぬし)~⑤千(ち)継(つぐ)などの人物がいた、というのだ。そしてまた、主(しゅ)国(くに)の兄の豊(とよ)国(くに)の子孫としては、鯛(たい)主(ぬし)(大(おお)伴(ともの)継(つぐ)人(ひと)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)古(ふる)人(ひと)・大(おお)中(なか)臣(とみの)諸(もろ)魚(うお)・巨(こ)勢(せの)野(の)足(たり)だ。)がいた、というのだ。そしてまた、鯛(たい)主(ぬし)(大(おお)伴(ともの)継(つぐ)人(ひと)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)古(ふる)人(ひと)・大(おお)中(なか)臣(とみの)諸(もろ)魚(うお)・巨(こ)勢(せの)野(の)足(たり)だ。)の子孫としては、①初代貞(さだ)継(つぐ)(高継(たかつぐ)・大(おお)枝(えの)朝(あそ)臣(み)真(ま)仲(なか)だ。)~2代目吉(よし)継(つぐ)(娘むこの小(お)野(のの)朝(あそ)臣(の)篁(たかむら)だ。)や、また、①門(かど)虫(むし)~②綱(つな)直(なお)~③綱(つな)良(より)などがいた、というのである。 

さてそれでは、次に、●『賀茂(かもの)御祖(みおや)皇(こう)太(たい)神宮(じんぐう)禰宜(ねぎ)河合(かわい)神職(しんしょく)県(あがた)主(ぬし)系図(けいず)』で見れば、始祖の大(おお)伊(い)乃(の)伎(ぎ)命(のみこと)(12代景(けい)行(こう)天皇(てんのう)・豊(とよ)城(き)入(いり)彦(ひこ)命(のみこと)だ。)~阿(あ)波(わ)伎(ぎ)乃(の)命(みこと)(倭(やまと)武(たける)尊(のみこと)だ。)や、また、弟伊(おとい)多足(たのすく)尼(ね)命(のみこと)(彦(ひこ)狭(さ)嶋(しま)命(のみこと)・13代成(せい)務(む)天皇(てんのう)だ。)や、また、弟(おと)小(こ)屋(や)奈(な)世(せ)命(のみこと)(倭(やまと)武(たける)尊(のみこと)・彦八(ひこや)綱(つな)田(だ)命(のみこと)だ。)たち3人の兄弟がいた、というのだ。そしてまた、阿(あ)波(わ)伎(ぎ)乃(の)命(みこと)(倭(やまと)武(たける)尊(のみこと)だ。)の子孫としては、~①伊(い)幣(へ)命(のみこと)(御諸(みもろ)別命(わけのみこと)・中(なか)臣(とみの)雷(いかづちの)大(おお)臣(まえつきみ)・14代仲(ちゅう)哀(あい)天(てん)皇(のう)だ。)~②◯◯(実際は、荒田(あらた)別命(わけのみこと)・17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)~③伊奈(いな)世(せ)命(のみこと)(倭(やまと)武(たける)尊(のみこと)だ。先祖へ遡っているのだ。)や、そしてまた、③◯◯(実際は彦(ひこ)狭(さ)嶋(しま)命(のみこと)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、①伊奈(いな)世(せ)命(のみこと)(倭(やまと)武(たける)尊(のみこと)だ。)~(複数の人物を省略しているのだ。)~②◯◯~③大(おお)山(さん)下(げ)の久(く)治(じ)良(ら)(阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)だ。)~④◯◯(娘むこの多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)白(はく)鳥(ちょう)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)伊(い)呂(ろ)具(ぐ)だ。)~⑤小(こ)建(だての)黒(くろ)日(ひ)命(のみこと)(小(こ)建(だての)黒(くろ)彦(ひこ)命(のみこと)・石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)・壱(い)岐(きの)連(むらじ)博(はか)徳(とこ)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)生(いく)羽(は)・三(み)輪(わの)君(きみ)根(ね)麻(ま)呂(ろ)・大神(おおみわの)朝(あそ)臣(み)高市(たけち)麿(まろ)だ。)や、また、板持(いたもち)(大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)牛(うま)養(かい)だ。)や、また、⑤五(い)百(お)依(より)(中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)三(み)千(ちち)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、小(こ)建(だての)黒(くろ)日(ひ)命(のみこと)(小(こ)建(だての)黒(くろ)彦(ひこ)命(のみこと)・石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)・荒嶋宿禰(あらしまのすくね)だ。)の子孫としては、~①次男の鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)吉備(きび)麻呂(まろ)(石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)忍(おし)人(ひと)・荒(あら)嶋(しまの)宿(すく)禰(ね)磯(いそ)継(つぐ)・荒(あら)嶋(しまの)宿(すく)禰(ね)乙(おと)主(ぬし)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)男(お)人(ひと)だ。)や、また、①東人(あづまびと)(紀(きの)朝(あそ)臣(み)男(お)人(ひと)・石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)忍(おし)人(ひと)・荒(あら)嶋(しまの)宿(すく)禰(ね)磯(いそ)継(つぐ)・荒(あら)嶋(しまの)宿(すく)禰(ね)乙(おと)主(ぬし)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)・物(もの)部(のべの)東人(あづまびと)だ。)たち2人がいた、というのだ。 

そしてまた、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)吉備(きび)麻呂(まろ)(石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)忍(おし)人(ひと)・荒(あら)嶋(しまの)宿(すく)禰(ね)磯(いそ)継(つぐ)・荒(あら)嶋(しまの)宿(すく)禰(ね)乙(おと)主(ぬし)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)男(お)人(ひと)・初代国(こく)学(がくの)頭(かしら)の文(あや)部(べの)息(おく)道(みち)だ。)の子孫としては、~①鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)豊(とよ)国(くに)(娘むこの大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)伊(い)可(か)保(ほ)・2代目大(おお)伴(ともの)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)大(おお)川(かわ)だ。)や、また、①主(しゅ)国(くに)(娘むこの大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)弟(おと)麻(ま)呂(ろ)だ。)たち2人がいた、というのだ。 

そしてまた、鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)豊国(とよくに)(大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)伊(い)可(か)保(ほ)・2代目大(おお)伴(ともの)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)だ。)の子孫としては、(ここは、1代遡るのだ。)~①◯◯(2人の舅(しゅうと)の大(おお)中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻(ま)呂(ろ)卿(きょう)・阿(あ)刀(との)造(みやつこ)大(おお)足(たり)だ。)~②鯛(たい)主(ぬし)(娘むこの大(おお)伴(ともの)継(つぐ)人(ひと)・大(おお)中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)魚(うお)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)古(ふる)人(ひと)・大(おお)伴(ともの)魚(うお)彦(ひこ)・巨(こ)勢(せの)野(の)足(たり)だ。)がいた、というのだ。そしてまた、主(しゅ)国(くに)(大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)弟(おと)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)弟(おと)麻(ま)呂(ろ)だ。)の子孫としては、~①◯◯や、①蓑(みの)や、①馬(うま)蓑(みの)たち3人がいた、というのだ。そしてまた、弟伊(おとい)多足(たのすく)尼(ね)命(のみこと)(彦(ひこ)狭(さ)嶋(しま)命(のみこと)・13代成(せい)務(む)天皇(てんのう)だ。)の子孫としては、~①伊賀(いが)田(た)足(らし)命(のみこと)(為(い)我(が)別(わけの)命(みこと)・足(たらしな)仲(なか)彦(ひこの)命(みこと)・御諸(みもろ)別命(わけのみこと)・中(なか)臣(とみの)雷(いかづちの)大(おお)臣(まえつきみ)・14代仲(ちゅう)哀(あい)天(てん)皇(のう)だ。)~②◯◯(荒(あら)田(た)別(わけの)命(みこと)・17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)~③鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)賀(か)氐(てい)(初代田(た)道(みちの)君(きみ)・18・19代履中(りちゅう)・反正(はんぜい)天皇(てんのう)だ。)や、また、③鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)の為(い)氐(てい)(初代田(た)道(みちの)君(きみ)・18・19代履中(りちゅう)・反正(はんぜい)天皇(てんのう)だ。)たちの人物がいた、というのだ。 

そしてまた、次に、~①大二目(おおにめ)命(のみこと)(御(み)諸(もろ)別(わけの)命(みこと)・中(なか)臣(とみの)雷(いかづちの)大(おお)臣(まえつきみ)・14代仲(ちゅう)哀(あい)天(てん)皇(のう)だ。)や、①小二目(こにめ)命(のみこと)(若(わか)建(たけの)王(みこ)・16代応(おう)神(じん)天(てん)皇(のう)だ。)たち2人がいた、というのである。 

さてそれでは、次に、●『紀伊(きい)国造系図(こくぞうけいず)』で見てみれば、天(あまの)御中主(みなかぬし)尊(のみこと)~①高皇産(たかみむす)霊(び)尊(のみこと)(7代目高気(たかき)根(ね)命(のみこと)・スサノオ尊だ。)や、①神皇産(かみむす)霊(び)尊(のみこと)(天(あま)照(てらすの)大(おおみ)神(かみ)・オオヒルメムチ尊だ。)~(かく乱のため、数代が削除されるのだ。)~②天道(あまのみち)根(ね)命(のみこと)(紀(き)伊(い)国(こく)造(ぞう)氏(し)の祖、3代安寧(あんねい)天皇(てんのう)・天(あまの)忍(おし)人命(ひとのみこと)だ。)~③比(ひ)古麻(こま)命(のみこと)(天ヒボコ命・4・5・6代懿(い)徳(とく)・孝(こう)昭(しょう)・孝安(こうあん)天皇(てんのう)だ。)~④鬼(き)刀祢(とね)命(のみこと)(7代孝(こう)霊(れい)天皇(てんのう)だ。)~⑤久志(くし)多麻(たま)命(のみこと)(8代孝元(こうげん)天皇(てんのう)だ。)~⑥大(おお)名(な)草(ぐさ)比(ひ)古(こ)命(のみこと)(大彦(おおびこ)命(のみこと)だ。)~⑦宇(う)遅(じ)比(ひ)古(こ)命(のみこと)(10代崇(す)神(じん)天皇(てんのう)だ。)~⑧舟本(ふなもと)命(のみこと)(12代景(けい)行(こう)天皇(てんのう)だ。)~⑨夜都賀志彦(やつがしひこ)命(のみこと)(13代成(せい)務(む)天皇(てんのう)だ。)~⑩等(と)与(よ)美(み)美(み)命(のみこと)(荒田(あらた)別命(げつのみこと)・大(おお)海(あま)部(べの)直(あたい)命(のみこと)・17代仁徳天皇(にんとくてんのう)だ。)~⑪豊(とよ)布流(ふる)(娘むこの初代田(た)道(みちの)君(きみ)・18・19代履中(りちゅう)・反正(はんぜい)天皇(てんのう)だ。)~⑫塩(しお)籠(がま)(奈(な)良(ら)別(わけの)命(みこと)・23代清(せい)寧(ねい)天皇(てんのう)だ。)~⑬称賀(しょうが)志(し)冨(とみ)(娘むこの24代顕(けん)宗(そう)天皇(てんのう)だ。)~⑭忍(おし)(忍見宿禰(おしみのすくね)・27代継体(けいたい)天皇(てんのう)だ。)~⑮麻(ま)佐(さ)子(こ)(30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)~⑯忍(おし)勝(かつ)(32代用(よう)明天皇(めいてんのう)・中臣(なかとみの)勝海(かつみの)大連(おおむらじ)だ。)~⑰忍(おし)穂(ほ)(久米皇子だ。)たちがいた、というのだ。そしてまた、称賀(しょうが)志(し)冨(とみ)(24代顕(けん)宗(そう)天皇(てんのう)だ。)の子孫としては、①国見(くにみ)(28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)~②国(くに)勝(かつ)(娘の甘(あま)美(み)姫(ひめ)のむこの29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)・蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)だ。)~③大海(おおあま)(長男の33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)・蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、忍(おし)穂(ほ)(実際は、久米皇子だ。)の長男としては、①牟婁(むろ)(高(たか)梯(はしの)王(みこ)・蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)・大(おお)中(なか)臣(とみの)金(こがねの)連(むらじ)・阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・紀(きの)大(おお)口(くちの)臣(おみ)・中臣(なかとみの)国(くに)足(たり)・小(お)野(のの)毛(えみ)人(し)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)・田(た)辺(なべの)史(ふひと)小(お)隅(すみ)だ・百済(くだら)王(こに)氏(きし)遠寶(えんぽう)だ。)~②古(こ)麻(ま)呂(ろ)(紀(きの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麿(まろ)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・下(しも)毛(けのの)野(の)君(きみ)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・下(しも)毛(けのの)野(の)君(きみ)石(いわ)代(しろ)・坂(さかの)上(うえの)忌(いみ)寸(き)老(おゆ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)人(ひと)足(たり)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麿(まろ)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)広(ひろ)麿(まろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)毛(け)野(の)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)慈(じ)敬(きょう)・大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)牛(うま)養(かい)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)名(な)代(しろ)だ。)がいた、というのだ。 

そしてまた、忍(おし)穂(ほ)(実際は、久米皇子だ。)の次男としては、務壹(むいち)石(せき)年(ねん)(高(たか)梯(はしの)王(みこ)・蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)・大(おお)中(なか)臣(とみの)金(こがねの)連(むらじ)・阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・紀(きの)大(おお)口(くちの)臣(おみ)・中臣(なかとみの)国(くに)足(たり)・小(お)野(のの)毛(えみ)人(し)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)・田(た)辺(なべの)史(ふひと)小(お)隅(すみ)だ。)がいた、というのだ。そしてまた、この務壹(むいち)石(せき)年(ねん)(高(たか)梯(はしの)王(みこ)・蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)・大(おお)中(なか)臣(とみの)金(こがねの)連(むらじ)・阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・紀(きの)大(おお)口(くちの)臣(おみ)・中臣(なかとみの)国(くに)足(たり)・小(お)野(のの)毛(えみ)人(し)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)・田(た)辺(なべの)史(ふひと)小(お)隅(すみ)だ。)の子孫としては、~直(なお)祖(そ)(大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・下(しも)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・下(しも)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)石(いわ)代(しろ)・坂(さかの)上(うえの)忌(いみ)寸(き)老(おゆ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)人(ひと)足(たり)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麿(まろ)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)広(ひろ)麿(まろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)毛(け)野(の)だ。)や、豊(とよ)丸(まる)(中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)・平(へ)群(ぐりの)連(むらじ)小(お)人(びと)・阿(あ)倍(べの)朝(あそ)臣(み)宿(すく)奈(な)麻(ま)呂(ろ)・三(み)輪(わの)君(きみ)首(おびと)名(な)・坂(さかの)上(うえの)忌(いみ)寸(き)首(おびと)名(なの)直(あたい)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)狛(こま)麿(まろ)・粟田(あわたの)朝(あそ)臣(み)真人(まひと)・佐(さ)味(みの)君(きみ)宿(すく)奈(な)麻(ま)呂(ろ)・田(た)口(ぐちの)朝(あそ)臣(み)益(ます)人(ひと)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)大(ひろ)海(み)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)縣(あがた)守(もり)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)難(なに)波(わ)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)人(ひと)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)三(み)千(ちち)だ。)たち2人がいた、というのだ。 

そしてまた、この紀(きの)直(あたい)古(こ)麻(ま)呂(ろ)(実際は、紀(きの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麿(まろ)だ。)の子孫としては、娘むこの①林(はやしの)直(あたい)解任(かいとう)(石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・荒(あら)嶋(しまの)宿(すく)禰(ね)乙(おと)主(ぬし)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)・和(やまとの)宿(すく)禰(ね)乙(おと)継(つぐ)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)忍(おし)人(ひと)・石(いその)上(かみの)乙(おと)麻(ま)呂(ろ)・初代国(こく)学(がくの)頭(かしら)の文(あや)部(べの)息(おく)道(みち)だ。)や、娘むこの②紀(きの)直(あたい)千嶋(ちしま)(阿(あ)倍(べの)引(ひけ)田(たの)島(しま)足(たり)・丹(たん)波(ばの)史(ふひと)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)古(こ)慈(し)斐(び)・吉(き)備(びの)真(ま)備(きび)・大(おお)伴(ともの)書(ふみ)持(もち)だ。)や、娘むこの③紀(きの)直(あたい)広嶋(ひろしま)(阿倍(あべの)引田(ひけたの)広目(ひろめ)・大(おお)伴(ともの)高(たか)多(た)麻(ま)呂(ろ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)泰(やす)麿(まろ)・阿(あ)倍(べの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)倍(べの)仲(なか)麻(ま)呂(ろ)・楊(や)侯(この)史(ふひと)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)石(いしの)宿(すく)禰(ね)三(み)原(はら)麿(まろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)瀬(せ)だ。)~国(くに)栖(ます)(2代目大(おお)伴(ともの)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)宅(やか)成(なり)・賀(か)茂(もの)県(あがた)主(ぬし)豊(とよ)国(くに)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)理(り)伯(はく)だ。)たちがいた、というのだ。また、実子で長男の④紀(きの)直(あたい)建(たけ)嶋(しま)(中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麿(まろ)卿(きょう)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)臣(おみ)足(たり)・坂(さかの)上大(うえのおお)忌(いみ)寸(き)大(おお)国(くに)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)東(あずま)人(びと)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)興(おこ)志(し)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)馬(うま)養(かい)・大(おお)伴(ともの)家(やか)持(もち)だ。)たち4人がいた、というのだ。 

そしてまた、国栖(くにます)(賀(か)茂(もの)県(あがた)主(ぬし)豊(とよ)国(くに)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)理(り)伯(はく)だ。)の子孫としては、~①豊嶋(とよしま)(長男の大(おお)伴(ともの)継(つぐ)人(ひと)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)古(ふる)人(ひと)・賀(か)茂(もの)県(あがた)主(ぬし)鯛(たい)主(ぬし)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)俊(しゅん)哲(てつ)・初代秋(あき)篠(しのの)吉(よし)継(つぐ)・巨(こ)勢(せの)野(の)足(たり)だ。)や、②豊(とよ)成(なり)(娘むこで2男の秋(あき)篠(しのの)安(やす)人(ひと)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)豊(とよ)庭(にわ)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)豊(とよ)成(なり)・楊(や)候(この)史(ふひと)令(れい)珪(けい)・坂(さかの)上(うえの)大(おお)忌(いみ)寸(き)苅(かり)田(た)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、③高継(たかつぐ)(異母弟の3男の大(おお)枝(えの)朝(あそ)臣(み)真(ま)仲(なか)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)雄(お)黒(くろ)麿(まろ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)御(み)笠(かさ)麿(まろ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)岑(みね)守(もり)・伊(い)岐(きの)連(むらじ)氏(うじ)成(なり)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)貞(さだ)・伴(ともの)朝(あそ)臣(み)国(くに)道(みち)・楊(や)侯(この)史(ふひと)令(れい)璆(きゅう)・賀(か)茂(もの)県(あがた)主(ぬし)の初代秋(あき)篠(しの)貞(さだ)継(つぐ)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)教(きょう)俊(しゅん)だ。)や、④弘(ひろ)淵(ふち)(娘むこの4男の藤(ふじ)原(わらの)朝(あそ)臣(み)継(つぐ)縄(なお)・人(ひと)麻(ま)呂(ろ)だ。)たち4人がいた、というのだ。 

そしてまた、この秋篠(あきしのの)高継(たかつぐ)(大(おお)枝(えの)朝(あそ)臣(み)真(ま)仲(なか)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)教(きょう)俊(しゅん)だ。)の子孫としては、①深海(しんかい)(娘むこの菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)公(きみ)・秋(あき)篠(しの)全(たま)継(つぐ)・2代目秋(あき)篠(しの)貞(さだ)継(つぐ)だ。)~②槻(つき)雄(お)(娘むこの伴(ともの)大納言善(よし)男(お)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)善(よし)算(さん)だ。)がいた、というのだ。 

つまり3男の秋(あき)篠(しのの)高(たか)継(つぐ)(津(つ)守(もりの)宿(すく)禰(ね)高(たか)継(つぐ)・大(おお)枝(えの)朝(あそ)臣(み)真(ま)仲(なか)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)岑(みね)守(もり)・伊(い)岐(きの)連(むらじ)氏(うじ)成(なり)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)貞(さだ)・伴(ともの)朝(あそ)臣(み)国(くに)道(みち)・楊(や)侯(この)史(ふひと)令(れい)璆(きゅう)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)の初代秋(あき)篠(しの)貞(さだ)継(つぐ)だ。)の子孫としては、①長男(娘むこの小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)篁(たかむら)・和気(わけの)朝(あそ)臣(み)仲(なか)世(よ)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)慶(けい)仲(ちゅう)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)田(た)仲(なか)麿(まろ)・2代目秋(あき)篠(しのの)吉(よし)継(つぐ)だ。)や、②次男(娘むこの秋(あき)篠(しのの)全(たま)継(つぐ)・2代目秋(あき)篠(しのの)貞(さだ)継(つぐ)・深海(しんかい)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)公(きみ)だ。)や、③実子で3男の秋(あき)篠(しのの)貞(さだ)男(お)(伴(ともの)大納言善(よし)雄(お)・貞(さだ)助(すけ)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)豊(ぶん)俊(しゅん)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)善(よし)算(さん)だ。)や、④実子で4男の秋(あき)篠(しのの)津(つ)食(しょく)丸(まる)たち4人がいた、というのだ。 

そしてまた、④紀(きの)直(あたい)建(たけ)嶋(しま)(大(おお)中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻(ま)呂(ろ)卿(きょう)・大(おお)伴(ともの)家(やか)持(もち)・多(た)治(じ)比(ひの)真人(まひと)家(やか)主(ぬし)・巨(こ)勢(せの)苗(なえ)麻(ま)呂(ろ)だ。)の子孫としては、~①豊嶋(とよしま)(娘むこの2代目大(おお)伴(ともの)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)宅(やか)成(なり)・阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)・和(わ)気(けの)坂(さか)本(もとの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻(ま)呂(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)長(なが)野(の)・津(つ)守(もりの)宿(すく)禰(ね)秋(あき)主(ぬし)・大(おお)伴(ともの)桑(くわ)主(ぬし)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)豊(とよ)国(くに)だ。)や、また、②吉(よし)継(つぐ)(娘むこの初代紀(きの)直(あたい)吉(よし)継(つぐ)・紀(きの)直(あたい)広(ひろ)国(くに)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)古(ふる)人(ひと)・大(おお)伴(ともの)継(つぐ)人(ひと)・和気(わけの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)世(よ)・大(おお)中(なか)臣(とみの)諸(もろ)魚(うお)・大(おお)伴(ともの)魚(うお)彦(ひこ)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)鯛(たい)主(ぬし)・巨(こ)勢(せの)野(の)足(たり)だ。)~五(い)百(お)友(とも)(実子で5男の紀伊(きい)国造(こくぞう)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)公(きみ)・秋(あき)篠(しのの)朝(あそ)臣(み)全(たま)継(つぐ)だ。)や、また、実子で長男の③人(ひと)成(なり)(坂(さかの)上(うえの)大(おお)忌(いみ)寸(き)犬養(いぬかい)・大(やま)和(との)宿(すく)禰(ね)長(なが)岡(おか)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、豊嶋(とよしま)(娘むこの阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)・和(わ)気(けの)坂本朝(さかもとのあそ)臣(み)清(きよ)麻(ま)呂(ろ)・2代目大(おお)伴(ともの)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)宅(やか)成(なり)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)長(なが)野(の)・津(つ)守(もりの)宿(すく)禰(ね)秋(あき)主(ぬし)・大(おお)伴(ともの)桑(くわ)主(ぬし)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)豊(とよ)国(くに)だ。)の子孫としては、~実子で長男の①吉(よし)継(つぐ)(初代紀(きの)直(あたい)吉(よし)継(つぐ)・紀(きの)直(あたい)広(ひろ)国(くに)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)古(ふる)人(ひと)・大(おお)伴(ともの)継(つぐ)人(ひと)・和(わ)気(けの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)世(よ)・大(おお)中(なか)臣(とみの)諸(もろ)魚(うお)・大(おお)伴(ともの)魚(うお)彦(ひこ)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)鯛(たい)主(ぬし)・巨(こ)勢(せの)野(の)足(たり)だ。)や、②広(ひろ)国(くに)(初代紀(きの)直(あたい)吉(よし)継(つぐ)と同一人物だ。)~五(い)百(お)友(とも)(紀伊(きい)国造(こくぞう)だ。また、娘むこの紀(きの)朝(あそ)臣(み)全継(たまつぐ)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)公(きみ)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、牟婁(むろ)の弟の②務(む)壱(いち)石(せき)牟(ねん)(牟婁(むろ)と同一人物だ。高(たか)梯(はしの)王(みこ)・蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)・大(おお)中(なか)臣(とみの)金(こがねの)連(むらじ)・阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・紀(きの)大(おお)口(くちの)臣(おみ)・中臣(なかとみの)国(くに)足(たり)・小(お)野(のの)毛(えみ)人(し)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)・田(た)辺(なべの)史(ふひと)小(お)隅(すみ)だ。)の子孫としては、①直(ちょく)祖(そ)(中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、①豊(とよ)丸(まる)(中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)だ。)~②豊(とよ)(阿(あ)倍(べの)引(ひけ)田(たの)島(しま)足(たり)・吉備真備(きびのまきび)だ。)たちがいた、というのである。 

さてそれでは、次に、●『松尾(まつお)社家(しゃけ)の系譜』を見てみれば、壱(い)岐(きの)(吉)連(むらじ)若(わか)彦(ひこ)(蘇我馬子大臣(そがのうまこのおおおみ)・33代崇(す)峻(しゅん)・38代孝(こう)徳(とく)天皇(てんのう)だ。)の子孫としては、~①磐余(いわれ)(娘むこの聖(しょう)徳(とく)太(たい)子(し)・35代舒(じょ)明天皇(めいてんのう)だ。)や、①乙(お)等(と)(娘むこの久米皇子だ。)や、、①田(た)耳(みみ)(実子で次男の39代天智(てんじ)天皇(てんのう)だ。)や、①博(はか)徳(とこ)(実子で3男の石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)・有(あり)馬(まの)皇(み)子(こ)だ。)たち4人がいた、というのだ。 

そしてまた、乙(お)等(と)(実際は久米皇子だ。)の子孫としては、①韓国(からくに)(実子で次男の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)だ。)や、①麿子(まろこ)(娘むこの中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)だ。)や、①網田(あみた)(実子で長男の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)だ。)たち3人がいた、というのだ。そしてまた、韓国(からくに)(多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)だ。)の子という韓(から)石(いし)(娘むこの石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)・有(あり)馬(まの)皇(み)子(こ)だ。)の子孫としては、~①綾手(あやて)(実子で次男の石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・百(く)済(だら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)・初代国(こく)学(がくの)頭(かしら)、文(あや)部(べの)息(おく)道(みち)だ。)がいた、というのだ。 

そしてまた、麿子(まろこ)(中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)だ。)の子孫としては、~①高足(たかたり)(娘むこの阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)だ。)や、①網田(あみた)(娘むこの阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)だ。)~②古(こ)麿(まろ)(実子で長男の中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)だ。)~③宅(やか)麿(まろ)(実子で長男の紀(きの)直(あたい)建(たけ)嶋(しま)・大(おお)中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻(ま)呂(ろ)卿(きょう)・大(おお)伴(ともの)家(やか)持(もち)・巨(こ)勢(せの)苗(なえ)麻(ま)呂(ろ)だ。)~④益(ます)麿(まろ)(娘むこの2代目大(おお)伴(ともの)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)・和(わ)気(けの)坂(さか)本(もとの)清(きよ)麻(ま)呂(ろ)・石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)・坂(さかの)上(うえの)郡(こおり)守(もり)・津(つ)守(もりの)宿(すく)禰(ね)秋(あき)主(ぬし)・大(おお)伴(ともの)桑(くわ)主(ぬし)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)豊(とよ)国(くに)だ。)~⑤真(まさ)次(つぐ)(娘むこの秋(あき)篠(しのの)朝(あそ)臣(み)安(やす)人(ひと)・中(なか)臣(とみの)豊(とよ)庭(にわ)・和(わ)気(けの)達(たつ)男(お)・坂(さかの)上(うえの)苅(かり)田(た)麻(ま)呂(ろ)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)継(つぎ)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、次に、⑤氏(うじ)麿(まろ)(実子で長男の大(おお)伴(ともの)継(つぐ)人(ひと)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)古(ふる)人(ひと)・大(おお)中(なか)臣(とみの)諸(もろ)魚(うお)・大(おお)伴(ともの)魚(うお)彦(ひこ)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)鯛(たい)主(ぬし)・巨(こ)勢(せの)野(の)足(たり)だ。)~⑥氏(うじ)成(なり)(大枝(おおえの)朝(あそ)臣(み)真(ま)仲(なか)・津(つ)守(もりの)宿(すく)禰(ね)高(たか)継(つぐ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)岑(みね)守(もり)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)貞(さだ)・伴(ともの)朝(あそ)臣(み)国(くに)道(みち)・楊(や)候(この)史(ふひと)令(れい)璆(きゅう)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)の初代秋(あき)篠(しの)貞(さだ)継(つぐ)だ。)がいた、というのだ。 

そしてまた、古(こ)麿(まろ)(紀(きの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麿(まろ)・大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・下(しも)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・下(しも)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)石(いわ)代(しろ)・坂(さかの)上(うえの)忌(いみ)寸(き)老(おゆ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)人(ひと)足(たり)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麿(まろ)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)広(ひろ)麿(まろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)毛(け)野(の)だ。)の子孫としては、~①宅(やか)麿(まろ)(実子で長男の紀(きの)直(あたい)建(たけ)嶋(しま)・大(おお)中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻(ま)呂(ろ)卿(きょう)・大(おお)伴(ともの)家(やか)持(もち)だ。)~②氏(うじ)麿(まろ)(娘むこの大(おお)伴(ともの)継(つぐ)人(ひと)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)古(ふる)人(ひと)・大(おお)中(なか)臣(とみの)諸(もろ)魚(うお)・大(おお)伴(ともの)魚(うお)彦(ひこ)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)鯛(たい)主(ぬし)・巨(こ)勢(せの)野(の)足(たり)だ。)~③氏(うじ)成(なり)(娘むこの大枝(おおえの)朝(あそ)臣(み)真(ま)仲(なか)・津(つ)守(もりの)宿(すく)禰(ね)高(たか)継(つぐ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)岑(みね)守(もり)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)貞(さだ)・伴(ともの)朝(あそ)臣(み)国(くに)道(みち)・楊(や)候(この)史(ふひと)令(れい)璆(きゅう)・鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)の初代秋(あき)篠(しの)貞(さだ)継(つぐ)だ。)がいた、というのである。 

さてそれでは、次に、●『津(つ)守(もり)氏(し)の推定系譜』を見てみれば、①天津彦々(あまつひこひこ)火(ほの)ニニギ(ににぎ)尊(のみこと)(大(おお)国(くに)主(ぬし)命(のみこと)・八(や)意思兼(いおもいかね)命(のみこと)だ。)~②火(ほ)明(あかり)命(のみこと)(娘むこだ。)~③天(あまの)香山(かごやま)命(のみこと)(娘むこの天下(あまのふり)春(はる)命(のみこと)だ。)~④天(あまの)大(おお)原(ばる)命(のみこと)(娘むこの初代神(じん)武(む)天(てん)皇(のう)・ウマシマジ尊・天(あまの)太(ふと)玉(だま)命(のみこと)・天(あまの)上(うえ)原(ばる)命(のみこと)だ。)~⑤天(あまの)村(むら)雲(くも)命(のみこと)(娘むこの2代綏(すい)靖(ぜい)天皇(てんのう)だ。)~⑥建(たけ)貫上(ぬきがみ)命(のみこと)(長男の3代安寧(あんねい)天皇(てんのう)だ。)~⑦天(あまの)貫上(ぬきがみ)命(のみこと)(娘むこの天ヒボコ命・4・5・6代懿(い)徳(とく)・孝(こう)昭(しょう)・孝安(こうあん)天皇(てんのう)だ。)~⑧建簀(たけさく)草(くさ)命(のみこと)(長男の7代孝(こう)霊(れい)天皇(てんのう)だ。)~⑨建水(たけみず)主命(ぬしのみこと)(長男の8代孝元(こうげん)天皇(てんのう)だ。)~⑩主使(おみ)ササギ(ささぎ)命(のみこと)(長男の9代開化(かいか)天皇(てんのう)だ。)~⑪主(お)使(み)狭(さ)名(な)木(き)命(のみこと)(養子の10代崇(す)神(じん)天皇(てんのう)だ。)~⑫天(あまの)春木(はるき)命(のみこと)(3男の11代垂(すい)仁(にん)天皇(てんのう)だ。)~⑬建(たけ)春木(はるき)命(のみこと)(娘むこの12代景(けい)行(こう)天皇(てんのう)だ。)~⑭主使(おみ)長田(おさだ)命(のみこと)(長男の倭(やまと)武(たけるの)尊(みこと)・彦八(ひこや)綱(つな)田(だ)命(のみこと)・百済(くだら)王(おう)の13代速(そっ)古(こ)大王(だいおう)だ。)~⑮大御田(おおみだの)足(すく)尼(ね)(娘むこの13代成(せい)務(む)天皇(てんのう)・彦狭(ひこさ)嶋(しま)命(のみこと)・御室(おむろ)別(わけの)皇子(みこ)だ。なお、御(み)主(ぬし)別(わけの)皇(み)子(こ)は、その娘むこの14代仲(ちゅう)哀(あい)天(てん)皇(のう)だ。)~⑯折羽(おりはの)足(すく)尼(ね)(娘むこの御諸(ごしょの)皇子(みこ)・宇(う)留(る)波(は)命(のみこと)・14代仲(ちゅう)哀(あい)天(てん)皇(のう)・百済(くだら)王(おう)の14代貴須(きす)王(おう)だ。)~⑰手搓(たじみの)足(すく)尼(ね)(娘むこの田(た)裳(じ)見(みの)足(すく)尼(ね)・16代応(おう)神(じん)天皇(てんのう)・百済(くだら)王(おう)の15代枕(ちむ)流(にゅ)王(おう)だ。)~⑱津守(つもりの)豊(とよ)吾(あ)田(た)命(のみこと)(娘むこの17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)・多(た)遅(じ)麻(ま)毘(ひ)古(この)大連(おおむらじ)・荒(あら)田(た)別(わけ)命(のみこと)・百済(くだら)王(おう)の16代辰(ちん)斯(さ)王(おう)だ。)~⑲津(つ)守(もりの)連(むらじ)的(まと)(娘むこの18・19代履中(りちゅう)・反正(はんぜい)天皇(てんのう)・的宿禰(まとのすくね)・初代田(た)道(みちの)君(きみ)・百済(くだら)王(おう)の17・18代阿(あ)花(しん)王(おう)・腆(ちょん)支(じ)王(おう)だ。)~⑳津(つ)守(もりの)連(むらじ)乎(お)己(み)志(し)(長男の23代清(せい)寧(ねい)天皇(てんのう)・奈良(なら)別命(わけのみこと)・百済(くだら)王(おう)の21代蓋(け)鹵(ろ)王(おう)だ。)~津(つ)守(もりの)連(むらじ)百(くだ)済(ら)(娘むこの24代顕宗(けんそう)天皇(てんのう)・百済(くだら)王(おう)の22代文(むん)周(じょ)王(おう)だ。)~津(つ)守(もりの)連(むらじ)許(きょ)麿(まろ)(義弟の25代仁(にん)賢(けん)天皇(てんのう)・百(く)済(だら)王(おう)の23代三(さむ)斤(ぐん)王(おう)だ。)~津守連手(つもりのむらじた)色(しき)(娘むこの28代安閑(あんかん)天皇(てんのう)・百済(くだら)の昆(こん)伎(じ)王(おう)だ。)~津守連(つもりのむらじ)倭(やまと)(娘むこの29代宣化(せんか)天皇(てんのう)・百済(くだら)の目図(めず)王(おう)だ。)~津守(つの)連山部(むらじやまべ)(娘むこの30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)・百済(くだら)王(おう)の26代聖(そん)明(みょん)王(おう)だ。)~津(つ)守(もりの)連(むらじ)佐(さ)波(は)良(ら)(娘むこの33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天皇(てんのう)・蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)・百済(くだら)王(おう)の28・31代恵(へ)王(おう)・義(うぃ)慈(じゃ)王(おう)だ。)~津守連(つもりのむらじ)船(ふな)弓(ゆみ)(長男の中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)・蘇(そ)我(がの)赤(あか)兄(えの)大(おお)臣(おみ)・鴨(かもの)小(お)黒(ぐろ)麻(ま)呂(ろ)・百済(くだら)王(おう)の豊璋(ほうしょう)王(おう)・蜂(はちの)子(この)皇(み)子(こ)・山(やま)背(しろの)大(おお)兄(えの)皇(み)子(こ)だ。)がいた、というのだ。 

そしてまた、津守連(つもりのむらじ)船(ふな)弓(ゆみ)(中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)・蘇(そ)我(がの)赤(あか)兄(えの)大(おお)臣(おみ)・鴨(かもの)小(お)黒(ぐろ)麻(ま)呂(ろ)だ。)の子孫としては、①夜(や)平(へい)(娘むこの高(たか)梯(はしの)王(みこ)・蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)臣(おみ)・中(なか)臣(とみの)金(こがねの)連(むらじ)・阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・紀(きの)大(おお)口(くちの)臣(おみ)だ。)や、①津守連(つもりのむらじ)白(はく)鳥(ちょう)(娘むこの男(おとこの)王(みこ)・大伴(おおともの)御行(みゆき)・大(おお)伴(ともの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)・左大臣多(た)冶(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)・蘇(そ)我(がの)日(ひゆ)向(うがの)臣(おみ)・中(なか)臣(とみの)許(こ)米(めの)連(むらじ)・多(おおの)臣(おみ)品(ほむ)治(じ)・紀(きの)大(う)人(しの)臣(おみ)だ。)たち2人がいた、というのだ。 

そしてまた、津守連(つもりのむらじ)白(はく)鳥(ちょう)(男(おのこの)王(みこ)・蘇(そ)我(がの)日(ひゆ)向(うがの)臣(おみ)・中(なか)臣(とみの)許(こ)米(めの)連(むらじ)・大伴(おおともの)御行(みゆき)・多(た)冶(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)小(こ)品(お)治(じ)・紀(きの)大(う)人(しの)臣(おみ)だ。)の子孫としては、津(つ)守(もりの)連(むらじ)生(いく)羽(は)(娘むこの石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)・羽(は)田(だの)八(はつ)国(こく)・蘇(そ)我(がの)石(いし)川(かわの)宮(みや)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、また、津守連(つもりのむらじ)広(ひろ)麿(まろ)(娘むこの紀(きの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麿(まろ)・大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・下(しも)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・下(しも)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)石(いわ)代(しろ)・坂(さかの)上(うえの)忌(いみ)寸(き)老(おゆ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)人(ひと)足(たり)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麿(まろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)毛(け)野(の)・多(おおの)臣(おみ)安(やす)万(ま)侶(ろ)・大(おお)伴(ともの)牛(うま)養(かい)・蘇(そ)我(がの)石(いし)川(かわの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、また、津(つ)守(もりの)連(むらじ)大(ひろ)海(み)(娘むこの中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)・多(おおの)臣(おみ)道(みち)万(ま)侶(ろ)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、また、津守連(つもりのむらじ)池(いけ)吉(よし)(長男の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)成(なり)だ。)や、津守連(つもりのむらじ)池(いけ)雄(お)(次男の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)足(たり)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)宇美(うみ)だ。)たち5人がいた、というのだ。 

そしてまた、津守連(つもりのむらじ)生(いく)羽(は)(八千羽(はっせんば)・羽(は)田(だの)八(やつ)国(こく)・石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)良(りょう)虞(ぐ)だ。)の子孫としては、~石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)(次男の鴨(かもの)県(あがた)主(ぬし)吉備(きび)麻呂(まろ)だ。)や、また、国(くに)麿(まろ)(娘むこの大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)美(み)岐(き)麿(まろ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻呂(まろ)卿(きょう)・大(おお)伴(ともの)家(やか)持(もち)・紀(きの)直(あたい)建(たけ)嶋(しま)・坂(さかの)上(うえの)忌(いみ)寸(き)大(おお)国(くに)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)猿(さ)取(ぬし)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)家(やか)主(ぬし)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)永(えい)継(けい)だ。なお、桓(かん)武(む)天(てん)皇(のう)妃(ひ)の百済(くだらの)永(えい)継(けい)は別人だ。)がいた、というのだ。 

そしてまた、津守連(つもりのむらじ)広(ひろ)麿(まろ)(紀(きの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麿(まろ)・大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・下(しも)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・下(しも)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)石(いわ)代(しろ)・坂(さかの)上(うえの)忌(いみ)寸(き)老(おゆ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)人(ひと)足(たり)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麿(まろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)毛(け)野(の)・多(おおの)臣(おみ)安(やす)万(ま)侶(ろ)・大(おお)伴(ともの)牛(うま)養(かい)だ。)の子孫としては、~島(しま)麿(まろ)(長男の大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)美(み)岐(き)麿(まろ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻呂(まろ)卿(きょう)・大(おお)伴(ともの)家(やか)持(もち)・紀(きの)直(あたい)建(たけ)嶋(しま)・坂(さかの)上(うえの)大(おお)国(くに)・国(くに)麿(まろ)だ。)~真(まさ)常(つね)(島(しま)麿(まろ)・国(くに)麿(まろ)と同一人物で長男の中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻呂(まろ)卿(きょう)だ。)~③秋(あき)主(ぬし)(娘むこの2代目大(おお)伴(ともの)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)・石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)俊(しゅん)哲(てつ)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、④津守連(つもりのむらじ)池(いけ)吉(きち)(多(た)治(じ)比(ひの)真人(まひと)広(ひろ)成(なり)だ。)の子孫としては、~①男(お)足(たり)(娘むこの中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麿(まろ)卿(きょう)だ。)~②浄山(じょうさん)(娘むこの和気(わけの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麿(まろ)だ。)がいた、というのである。 

さてそれでは、次に、●『大(おお)三(み)輪(わ)氏(し)の推定系譜』を見てみれば、①建速素戔鳥命(たけはやすさのおのみこと)(スサノオ尊だ。)~②大国主命(おおくにぬしのみこと)~③都(つ)美波(みは)八重事代(やえことしろ)主命(ぬしのみこと)(娘むこの天火(あまのほ)明(あかり)命(のみこと)だ。)~④天(あまの)事(こと)代(しろ)主(ぬし)箋(くし)入(いり)彦(ひこ)命(のみこと)(娘むこの天(あまの)香山(かごやま)命(のみこと)だ。)~⑤天日方(あまのひかた)奇(き)日方(ひかた)命(のみこと)(長男の天(あまの)村雲(むらくも)命(のみこと)・2代綏(すい)靖(ぜい)天皇(てんのう)だ。)~⑥飯(いい)肩(かた)巣(す)見(み)命(のみこと)(長男の天(あまの)忍(おし)人命(ひとのみこと)・3代安寧(あんねい)天皇(てんのう)だ。)~⑦建(たけ)甕(みか)尻(じり)命(のみこと)(娘むこの天(あまの)忍男(おしお)命(のみこと)・天(あまの)太(ふと)耳(みみ)命(のみこと)だ。)~⑧豊(とよ)御気(みけ)主命(ぬしのみこと)(娘むこの天ヒボコ命・4・5・6代懿(い)徳(とく)・孝(こう)昭(しょう)・孝安(こうあん)天皇(てんのう)だ。)~⑨大(おお)御(み)気(け)主(ぬし)命(のみこと)(長男の7代孝(こう)霊(れい)天皇(てんのう)だ。)~⑩阿(あ)田(た)賀(が)田(た)須(す)命(のみこと)(長男の8代孝元(こうげん)天皇(てんのう)だ。)~⑪建(たけ)飯(い)賀(が)田(た)須(す)命(のみこと)(娘むこの大彦(おおびこ)命(のみこと)だ。)~⑫大(おお)田(た)々(た)根(ね)子(こ)(娘むこの9代開化(かいか)天皇(てんのう)だ。)~⑬大(おお)御(み)気(け)持(もち)命(のみこと)(養子の10代崇(す)神(じん)天皇(てんのう)だ。)~⑭大鴨積(おおかもつみ)命(のみこと)(次男の12代景(けい)行(こう)天(てん)皇(のう)だ。)や、次に、⑭大(おお)部(べ)主(ぬし)命(のみこと)(3男の11代垂(すい)仁(にん)天(てん)皇(のう)だ。)や、次に、⑭田々彦(たたひこ)命(のみこと)(長男の丹(たん)波(ば)道(みち)主(ぬしの)命(みこと)だ。)~(かく乱のために、数代が削除されているのだ。)~⑮大友(おおとも)主命(ぬしのみこと)(車持(くるまもちの)君(きみ)・20代允(いん)恭(ぎょう)天皇(てんのう)・竹葉(たけは)瀬(せの)君(きみ)・百(く)済(だら)王の19代久(く)尓(い)辛(しん)王(おう)の辰(ちん)孫(そん)王(おう)だ。)~⑯志多留(したる)命(のみこと)(長男の21・24代安(あん)康(こう)・顕宗(けんそう)天皇(てんのう)・大伴語(おおとものかたるの)大連(おおむらじ)・百済(くだら)王(おう)の22代文(むん)周(じゅ)王(おう)だ。)~⑰石(いし)床(とこ)(長男の27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)・百済(くだら)王(おう)の25代武(む)寧(りょん)王(おう)だ。)や、次に、⑰武(たけ)自古(じこ)(次男の28代安閑(あんかん)天皇(てんのう)・百済(くだら)王(おう)の昆(こん)支(ぎ)王(おう)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)石(いし)床(とこ)(27代継体(けいたい)天皇(てんのう)・百済(くだら)王(おう)の25代武(む)寧(りょん)王(おう)だ。)の子孫としては、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)身(み)狭(さ)(次男の中(なか)臣(とみの)常(とき)盤(わの)大(おお)連(むらじ)・蘇(そ)我(がの)稲目(いなめの)大臣(おおおみ)・29代宣化(せんか)天皇(てんのう)・百済(くだら)王(おう)の目図(めず)王(おう)だ。)や、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)五百(いお)鳥(どり)(長男の30欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)・百済(くだら)王(おう)の26代聖(そん)明(みょん)王(おう)だ。)など2人がいた、というのだ。そしてまた、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)身狭(みさ)(中(なか)臣(とみの)常(とき)盤(わの)大(おお)連(むらじ)・蘇(そ)我(がの)稲目(いなめの)大臣(おおおみ)・29代宣化(せんか)天皇(てんのう)・百済(くだら)王(おう)の目図(めず)王(おう)だ。)の子孫としては、①大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)特(とく)牛(うし)(娘むこの30代欽(きん)明天皇(めいてんのう)・百済(くだら)王(おう)の26代聖(そん)明(みょん)王(おう)だ。)や、また、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)比(ひ)義(ぎ)(実子で長男の大神比(おおがのひ)義(ぎ)・蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大臣(おおまつきみ)・33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天皇(てんのう)・28・31代百済(くだら)王(おう)の恵(へ)王(おう)・義(うぃ)慈(じゃ)王(おう)だ。)や、また、①大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)布須(ふす)(娘むこの32代用(よう)明天皇(めいてんのう)・物部守屋(もののべのもりやの)大連(おおむらじ)・境部(さかいべの)麻理勢(まりせ)だ。)たち3人がいた、ということなのだ。 

そしてまた、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)特(とく)牛(うし)(30代欽(きん)明天皇(めいてんのう)・百済(くだら)王(おう)の26代聖(そん)明(みょん)王(おう)だ。)の子孫としては、~①大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)逆(さかし)(次男の32代用(よう)明天皇(めいてんのう)・物部守屋(もののべのもりやの)大連(おおむらじ)・百済(くだら)王(おう)の29代法(ぽぷ)王(おう)だ。)~②大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)小鶴鷯(おささぎ)(長男の35代舒(じょ)明天皇(めいてんのう)・百済(くだら)王(おう)の30代武(む)王(おう)だ。)~③大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)文屋(ふんや)(娘むこの中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)・蜂子(はちのこの)皇子(みこ)・百済(くだら)王(おう)の豊璋(ほうしょう)王(おう)だ。)~④大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)利金(としかね)(娘むこの阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)だ。)~⑤大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)高市(たけち)麿(まろ)(娘むこの石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)特(とく)牛(うし)(30代欽(きん)明天皇(めいてんのう)・百済(くだら)王(おう)の26代聖(そん)明(みょん)王(おう)だ。)の別の子孫としては、~①忍八(おしは)(娘むこの蘇我馬子(そがのうまこの)大臣(おおおみ)・33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天皇(てんのう)だ。)~②大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)磐(いわ)弓(ゆみ)(長男の中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)・蘇(そ)我(がの)赤(あか)兄(えの)大(おお)臣(おみ)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)比(ひ)義(ぎ)(大神比(おおがのひ)義(ぎ)・蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大臣(おおまつきみ)・33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天皇(てんのう)だ。)の子孫としては、~①大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)波(は)知(ち)(長男の中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)・蜂子(はちのこの)皇子(みこ)・百済(くだら)王(おう)の豊璋(ほうしょう)王(おう)だ。)~②大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)竹葉(たけは)古(こ)(娘むこの阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)だ。)~③大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)路(みち)麿(まろ)(娘むこの韓(から)国(くにの)連(むらじ)久々比(くくひ)命(のみこと)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)だ。)~④大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)諸(もろ)上(かみ)(娘むこの中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)旅(たび)人(と)だ。)~⑤大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)調(つき)足(たり)(娘むこの石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・荒(あら)嶋(しまの)宿(すく)禰(ね)乙(おと)主(ぬし)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)・石(いその)上(かみの)乙(おと)麻(ま)呂(ろ)・林(はやしの)直(あたい)解任(かいとう)だ。)や、次に、⑤大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)美(み)岐(き)麿(まろ)(長男の中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻呂(まろ)卿(きょう)・大(おお)伴(ともの)家(やか)持(もち)・紀(きの)直(あたい)建(たけ)嶋(しま)・坂(さかの)上(うえの)大(おお)国(くに)・巨(こ)勢(せの)苗(なえ)麻(ま)呂(ろ)だ。)~⑥大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)宅女(やかめ)(長女の賀(か)陽(やの)臣(おみ)小(こ)玉(だま)女(め)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)布須(ふす)(32代用(よう)明天皇(めいてんのう)・物部守屋(もののべのもりやの)大連(おおむらじ)・境部(さかいべの)麻理勢(まりせ)だ。)の子孫としては、~①大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)白堤(しらつつみ)(次男の久米皇子だ。)~②大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)宇(う)志(し)(長男の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)だ。)、次に、①大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)横山(よこやま)(横(よこ)山(やま)大(だい)明(みょう)神(じん)・久米皇子だ。)~②大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)箕作(みのさく)(次男の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、②大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)五百(いお)鳥(どり)(30欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、~①〇〇(次男の32代用(よう)明天皇(めいてんのう)・物部守屋(もののべのもりやの)大連(おおむらじ)・百済(くだら)王(おう)の29代法(ぽぷ)王(おう)だ。)~②大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)宇(う)留(る)志(し)(次男の久米皇子だ。)~③大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)牟(む)良(ら)(長男の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)・大(おお)中(なか)臣(とみの)金(こがねの)連(むらじ)だ。)や、次に、③大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)猪子(いのこ)(次男の山(やま)猪子(いのこ)命(のみこと)・久米(くめの)皇子(みこ)だ。~④大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)加志(かし)古(こ)(長男の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)・大(おお)中(なか)臣(とみの)金(こがねの)連(むらじ)だ。)たちがいた、というのだ。 

さてそれでは、より正しい系譜としては、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)石(いし)床(とこ)(27代継体(けいたい)天皇(てんのう)・百済(くだら)王(おう)の25代武(む)寧(りょん)王(おう)だ。)の子孫としては、~①大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)身狭(みさ)(娘むこの中臣(なかとみの)常盤(ときわの)大連(おおむらじ)・蘇(そ)我(がの)稲目(いなめの)大臣(おおおみ)・29代宣化(せんか)天皇(てんのう)・百済(くだら)王(おう)の目図(めず)王(おう)だ。)~②大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)特(とく)牛(うし)(娘むこの30代欽(きん)明天皇(めいてんのう)・百済(くだら)王(おう)の26代聖(そん)明(みょん)王(おう)だ。)~③大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)逆(さかし)(次男の32代用(よう)明天皇(めいてんのう)・物部守屋(もののべのもりやの)大連(おおむらじ)・百済(くだら)王(おう)の29代法(ぽぷ)王(おう)だ。)~④大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)小鶴鷯(おささぎ)(長男の35代舒(じょ)明天皇(めいてんのう)・百済(くだら)王(おう)の30代武(む)王(おう)だ。)~⑤大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)文屋(ふんや)(娘むこの中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)・蜂子(はちのこの)皇子(みこ)・百済(くだら)王(おう)の豊璋(ほうしょう)王(おう)だ。)~⑥大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)利金(としかね)(娘むこの阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)・大(おお)中(なか)臣(とみの)金(こがねの)連(むらじ)だ。)~⑦大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)路(みち)麿(まろ)(娘むこの韓(から)国(くにの)連(むらじ)久々比(くくひ)命(のみこと)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)だ。)~⑧大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)高市(たけち)麿(まろ)(娘むこの石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、次に、⑧大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)諸(もろ)上(かみ)(娘むこの中(なか)臣(とみお)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麿(まろ)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)広(ひろ)麿(まろ)・大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・多(おおの)臣(おみ)安(やす)万(ま)侶(ろ)・紀(きの)直(あたい)古(こ)麿(まろ)・伊(い)岐連(きのむらじ)古(こ)麿(まろ)・下毛(しもけ)野(のの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麻呂(まろ)・息(おき)長(ながの)忌(いみ)寸(き)老(おゆ)・大(おお)伴(ともの)牛(うま)養(かい)だ。)~⑨大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)調(つき)足(たり)(娘むこの石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・荒(あら)嶋(しまの)宿(すく)禰(ね)乙(おと)主(ぬし)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)・石(いその)上(かみの)乙(おと)麻(ま)呂(ろ)・林(はやしの)直(あたい)解任(かいとう)だ。)や、次に、⑨大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)美(み)岐(き)麿(まろ)(長男の中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻呂(まろ)卿(きょう)・大(おお)伴(ともの)家(やか)持(もち)・紀(きの)直(あたい)建(たけ)嶋(しま)・坂(さかの)上(うえの)大(おお)忌(いみ)寸(き)大(おお)国(くに)だ。)とも、この系譜は続いている、ということなのだ。 

そしてまた、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)調(つき)足(たり)(石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・荒(あら)嶋(しまの)乙(おと)主(ぬし)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)・石(いその)上(かみの)乙(おと)麻(ま)呂(ろ)・林(はやしの)直(あたい)解任(かいとう)だ。)の子孫としては、①大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)杜女(もりめ)(実際は長女だ。)や、また、①大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)田(た)麿(まろ)(娘むこの阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)だ。)~②大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)国(くに)足(たり)(長男の大(おお)伴(ともの)継(つぐ)人(ひと)・佐(さえ)伯(きの)直(あたい)田(たの)公(きみ)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)古(ふる)人(ひと)・巨(こ)勢(せの)野(の)足(たり)だ。)~③大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)種(たね)麿(まろ)(娘むこの菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)道(みち)長(なが)・坂(さかの)上(うえの)大(おお)忌(いみ)寸(き)田(た)村(むら)麻(ま)呂(ろ)・土(は)師(じの)宿(すく)禰(ね)道(みち)長(なが)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)種(しゅ)々(しゅ)麿(まろ)・伴(ともの)朝(あそ)臣(み)山(やま)道(みち)だ。)~(親子関係にない。)~④大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)奈(な)互(て)麿(まろ)(大(おお)枝(えの)朝(あそ)臣(み)真(ま)仲(なか)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)雄(お)黒(くろ)麿(まろ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)御(み)笠(かさ)麿(まろ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)岑(みね)守(もり)・伊(い)岐(きの)連(むらじ)氏(うじ)成(なり)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)貞(さだ)・伴(ともの)朝(あそ)臣(み)国(くに)道(みち)・楊(や)侯(この)史(ふひと)令(れい)璆(きゅう)・賀(か)茂(もの)県(あがた)主(ぬし)の初代秋(あき)篠(しの)貞(さだ)継(つぐ)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)教(きょう)俊(しゅん)だ。)や、また、④大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)真(ま)守(もり)(大(おお)枝(えの)朝(あそ)臣(み)真(ま)仲(なか)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)雄(お)黒(くろ)麿(まろ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)御(み)笠(かさ)麿(まろ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)岑(みね)守(もり)・伊(い)岐(きの)連(むらじ)氏(うじ)成(なり)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)貞(さだ)・伴(ともの)朝(あそ)臣(み)国(くに)道(みち)・楊(や)侯(この)史(ふひと)令(れい)璆(きゅう)・賀(か)茂(もの)県(あがた)主(ぬし)の初代秋(あき)篠(しの)貞(さだ)継(つぐ)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)教(きょう)俊(しゅん)だ。)たちがいた、ということなのだ。 

そしてまた、大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)利金(としかね)(阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)・中(なか)臣(とみの)金(こがねの)連(むらじ)だ。)の子孫としては、大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)高市(たけち)麿(まろ)(娘むこの石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、また、大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麿(まろ)(長男の中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)だ。)や、また、大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)狛(こま)麿(まろ)(次男の中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)縣(あがた)守(もり)・大(おお)伴(ともの)田(た)主(ぬし)・阿(あ)倍(べの)宿(すく)奈(な)麻(ま)呂(ろ)・佐(さ)味(みの)宿(すく)奈(な)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、また、大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)豊(と)島(しま)売(め)(実際は実娘で、蘇(そ)我(がの)連(むらじ)子(この)大(おお)臣(おみ)の娘の娼(しょう)子(この)娘(いらつめ)だ。また、藤(ふじ)原(わらの)不(ふ)比(ひ)等(と)の妃(きさき)だ。)たち4人がいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)高市(たけち)麿(まろ)(石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)呂(ろ)・鴨(かもの)縣(あがた)主(ぬし)小(お)建(だての)黒(くろ)彦(ひこの)命(みこと)だ。)の子孫としては、①大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)忍(おし)人(ひと)(次男の石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・荒(あら)嶋(しまの)磯(いそ)継(つぐ)・荒(あら)嶋(しまの)乙(おと)主(ぬし)・石(いその)上(かみの)乙(おと)麻(ま)呂(ろ)・百(くだ)済(ら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)だ。)や、また、①大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)興(おこ)志(し)(娘むこの中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麿(まろ)卿(きょう)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)東(あずま)人(びと)だ。)たちがいた、というのだ。そしてまた、大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)忍(おし)人(ひと)(石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)・荒(あら)嶋(しまの)磯(いそ)継(つぐ)・荒(あら)嶋(しまの)乙(おと)主(ぬし)・石(いその)上(かみの)乙(おと)麻(ま)呂(ろ)・物(もの)部(のべの)朝(あそ)臣(み)東(あずま)人(びと)・百(くだ)済(ら)王(こに)氏(きし)敬(きょう)福(ふく)だ。)の子孫としては、大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)伊可(いか)保(ほ)(娘むこの阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)・和(わ)気(けの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麿(まろ)だ。)や、また、大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)弟(おと)麻呂(まろ)(娘むこの大(おお)伴(ともの)弟(おと)麻(ま)呂(ろ)だ。)たち2人がいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)伊可(いか)保(ほ)(阿(あ)倍(べの)満(まん)月(げつ)丸(まる)・和(わ)気(けの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麿(まろ)だ。)の子孫としては、大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)三(み)支(し)(3男の大(おお)枝(えの)朝(あそ)臣(み)真(ま)仲(なか)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)雄(お)黒(くろ)麿(まろ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)御(み)笠(かさ)麿(まろ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)岑(みね)守(もり)・伊(い)岐(きの)連(むらじ)氏(うじ)成(なり)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)貞(さだ)・伴(ともの)朝(あそ)臣(み)国(くに)道(みち)・楊(や)侯(この)史(ふひと)令(れい)璆(きゅう)・賀(か)茂(もの)県(あがた)主(ぬし)の初代秋(あき)篠(しの)貞(さだ)継(つぐ)・百済(くだら)王(こに)氏(きし)教(きょう)俊(しゅん)だ。)~大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)真(ま)主(ぬし)(娘むこの小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)篁(たかむら)・和気(わけの)朝(あそ)臣(み)仲(なか)世(よ)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)田(た)仲(なか)麿(まろ)・百(く)済(だら)王(こに)氏(きし)慶(けい)仲(ちゅう)・百(く)済(だら)王(こに)氏(きし)河(かわ)成(なり)だ。)や、②大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)穀(こく)主(ぬし)(いずれも同一人物だ。)や、②大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)野(や)主(ぬし)(いずれも同一人物だ。)たち3人がいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)野(や)主(ぬし)(小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)篁(たかむら)・和気(わけの)朝(あそ)臣(み)仲(なか)世(よ)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)田(た)仲(なか)麿(まろ)・百(く)済(だら)王(こに)氏(きし)慶(けい)仲(ちゅう)・百(く)済(だら)王(こに)氏(きし)河(かわ)成(なり)だ。)の子孫としては、①大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)千成(ちなり)や、①大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)良(よし)成(なり)や、①大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)福(ふく)成(なり)や、①大(おお)神(わわの)朝(あそ)臣(み)当成(まさなり)たち4人がいた、というのである。 

さてそれでは、次に、いよいよ、『大(おお)伴(ともの)氏(し)の系譜』の1つ、●『伴(とも)氏(し)の推定系譜』を見てみれば、①天(あめの)中(みなか)主(ぬしの)尊(みこと)(実際はクニトコタチノ尊だ。)~②天(あめの)八(や)下(ふりの)尊(みこと)(実際はトノクニサチ尊だ。)~③別(わけ)天(あまの)三(み)降(ふりの)尊(みこと)(実際は初代海(あま)部(べの)大(おお)神(かみ)・初代奈賀(なが)の大(おお)人(うし)様(さま)だ。)~④別(わけの)天(あま)合(あいの)尊(みこと)~(実際はアメノカガミ尊だ。)別(わけの)天(あまの)八(や)百(お)日(ひの)尊(みこと)(実際はアメノヨロズ尊だ。)~⑤別(わけの)天(あまの)八(や)十(そ)万魂(たまの)尊(みこと)(実際はアワナギ尊だ。)~⑥別(わけの)云天(あまの)百(お)日(ひの)尊(みこと)(実際はイザナギ尊だ。)というのだ。 

そしてまた、①高(たか)皇(み)彦(むす)霊(びの)尊(みこと)(スサノオ尊だ。)・・・・②天(あまの)忍(おし)日(ひ)命(のみこと)(天(あまの)村(むら)雲(くも)命(のみこと)・2代綏(すい)靖(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)~③天(あま)津(つ)彦(ひこ)日(ひ)中(なか)咋(くいの)命(みこと)(長男の天(あまの)忍(おし)人(ひと)命(のみこと)・3代安(あん)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)~④天(あま)津(つ)日(ひ)命(のみこと)(娘むこの天(あまの)照(てる)日(ひ)命(のみこと)・天ヒボコ命・4・5・6代懿(い)徳(とく)・孝(こう)昭(しょう)・孝安(こうあん)天皇(てんのう)だ。)~⑤道(みちの)臣(おみの)命(みこと)(長男の7代孝(こう)霊(れい)天(てん)皇(のう)だ。)~⑥味(うまし)日(ひ)命(のみこと)(長男の8代孝(こう)元(げん)天(てん)皇(のう)だ。)~⑦雅(まさ)日(ひ)臣(おみ)命(のみこと)(娘むこの大(おお)彦(びこ)命(のみこと)だ。)~⑧大(おお)日(ひの)命(みこと)(長男の物(もの)部(のべの)伊(い)香(か)色(し)男(お)命(のみこと)・彦(ひこ)坐(います)命(のみこと)・10代崇(す)神(じん)天(てん)皇(のう)だ。)~⑨角(つの)日(ひ)命(のみこと)(次男の豊(とよ)城(き)入(いり)彦(ひこ)命(のみこと)・12代景(けい)行(こう)天(てん)皇(のう)だ。)~⑩豊(とよ)日(ひ)命(のみこと)(娘むこの彦(ひこ)狭(さ)嶋(しま)命(のみこと)・13代成(せい)務(む)天(てん)皇(のう)だ。)~⑪建(たけ)日(ひ)命(のみこと)(長男の荒(あら)田(た)別(わけ)命(のみこと)・大(おお)伴(ともの)武(たけ)日(ひの)命(みこと)・17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)~⑫武(たけ)持(もち)(娘むこの初代田(た)道(みちの)君(きみ)・18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)~⑬室(むろ)屋(や)(長男の奈(な)良(ら)別(わけ)命(のみこと)・平(へ)群(ぐりの)真(ま)鳥(どりの)大(おおまえつ)臣(きみ)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)とも系譜は続くのだ。 

そしてまた、①神(かみ)皇(む)彦(す)霊(びの)尊(みこと)(天(あま)照(てらすの)大(おおみ)神(かみ)だ。)や、そしてまた、①津(つ)速(はや)彦(むす)霊(びの)尊(みこと)(スサノオ尊だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)伴(ともの)室(むろ)屋(や)(奈(な)良(ら)別(わけ)命(のみこと)・平(へ)群(ぐりの)真(ま)鳥(どりの)大(おおまえつ)臣(きみ)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①大(おお)伴(ともの)談(かたる)(娘むこの中(なか)臣(とみの)鎌(かまの)大(おお)夫(まえつきみ)・紀(きの)韓(から)子(この)宿(すく)禰(ね)・21・24代安(あん)康(こう)・顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、②大(おお)伴(ともの)御物(おもの)(長男の25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)・中(なか)臣(とみの)塩(しお)屋(やの)宿(すく)禰(ね)・紀(きの)大(おお)磐(いわの)宿(すく)禰(ね)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)伴(ともの)談(かたる)(中(なか)臣(とみの)鎌(かまの)大(おお)夫(まえつきみ)・紀(きの)韓(から)子(この)宿(すく)禰(ね)・21・24代安(あん)康(こう)・顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①大(おお)伴(ともの)金(かな)村(むら)(長男の中(なか)臣(とみの)黒(くろ)田(だの)大(おお)連(むらじ)・27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、②大(おお)伴(ともの)歌(うたの)連(むらじ)(次男の28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、この大(おお)伴(ともの)金(かな)村(むらの)大(おお)連(むらじ)(中(なか)臣(とみの)黒(くろ)田(だの)大(おお)連(むらじ)・27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①大(おお)伴(ともの)磐(いわ)(次男の蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)・29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)・中(なか)臣(とみの)常(とき)磐(わの)大(おお)連(むらじ)だ。)・(4代後の子孫だ。)・・・・小(お)吹(ふ)負(けい)(阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)だ。)や、また、①大(おお)伴(ともの)咋(くい)子(こ)(蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)・33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)~馬(うま)飼(かい)(孫の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)だ。)や、また、①大(おお)伴(ともの)狭(さ)手(て)彦(ひこ)(物(もの)部(のべの)尾(お)輿(こしの)連(むらじ)・30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)~女子(長女の34代推(すい)古(こ)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、①大(おお)伴(ともの)久(ひさ)子(こ)(孫の34代推(すい)古(こ)天(てん)皇(のう)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)伴(ともの)小(お)吹(ふ)負(けい)(阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)だ。)の子孫としては、大(おお)伴(ともの)牛(うま)養(かい)(長男の中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)祖(お)文(じ)麿(まろ)(次男の中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)だ。)~古(こ)悲(し)斐(び)(長男の吉(き)備(びの)真(ま)備(きび)・阿倍(あべの)引田(ひけたの)島(しま)足(たり)・丹(たん)波(ばの)史(ふひと)麻(ま)呂(ろ)・孝子(こうし)凡(ぼん)丸(まる)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)伴(ともの)馬(うま)飼(かい)(孫の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)だ。)の子孫としては、大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)(娘むこの多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)・県(あがた)犬(いぬ)養(かいの)宿(すく)禰(ね)大(おお)伴(とも)・大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)路(みち)麿(まろ)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)稲(いな)公(きみ)(甥(おい)の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)足(たり)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)宇美(うみ)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)安(やす)麿(まろ)(娘むこの大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)・県(あがた)犬(いぬ)養(かいの)宿(すく)禰(ね)大(おお)伴(とも)だ。)たちがいた、というのだ。そしてまた、この大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)(多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)・県(あがた)犬(いぬ)養(かいの)宿(すく)禰(ね)大(おお)伴(とも)・大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)路(みち)麿(まろ)だ。)の弟である大(おお)伴(ともの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)の実像としては、実際は、多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)や、津(つ)守(もりの)連(むらじ)白(はく)鳥(ちょう)なのだ。また、大(おお)伴(ともの)稲(いな)公(きみ)(多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)足(たり)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)宇美(うみ)だ。)としては、その実子の次男なのだ。つまりここへは、大(おお)伴(ともの)稲(いな)公(きみ)でなく大(おお)伴(ともの)御(み)依(より)(中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)・村(むら)国(くにの)連(むらじ)男(お)依(より)・大(おお)伴(ともの)田(た)主(ぬし)・大(おお)伴(ともの)道(みち)足(たり)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)祖(お)父(おじ)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)路(じ)だ。)が入るべきなのである。 

さてそれでは、『大伴(おおとも)氏(し)の系譜(近世末期に、編纂者不明の系図纂要・大部の系譜集成だ。)』で見てみれば、大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)の子孫や、『伴(とも)氏(し)の系譜』の中の、大(おお)伴(ともの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)の子孫としては、その実像である多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)の子孫たちとも同一人物である、ということなのだ。 

そしてまた、大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)(大(おお)伴(ともの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)・県(あがた)犬(いぬ)養(かいの)宿(すく)禰(ね)大(おお)伴(とも)・大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)路(みち)麿(まろ)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)白(はく)鳥(ちょう)だ。)の次女のむことしては、中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)である大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)(大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麿(まろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)広(ひろ)麿(まろ)・大(おお)伴(ともの)牛(うま)養(かい)・海部(あまべの)直(あたい)愛(あい)志(し)だ。)がいたのだ。また、3女のむことしては、中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)である大(おお)伴(ともの)御(み)依(より)(大(おお)伴(ともの)田(た)主(ぬし)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)狛(こま)麿(まろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)縣(あがた)守(もり)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)大(ひろ)海(み)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・巨勢(こせの)朝(あそ)臣(み)祖父(おおじ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)難(なに)波(わ)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛野(けのの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)人(ひと)だ。)がいた、ということなのだ。また、その義弟としては、長男の大(おお)伴(ともの)宿(すく)奈(な)麿(まろ)(多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)成(なり)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)池(いけ)吉(よし)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)堺(さかい)麻(ま)呂(ろ)だ。)だが、その子孫としては、~①津(つ)守(もりの)宿(すく)禰(ね)男(お)足(たり)である娘むこ大(おお)中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻呂(まろ)卿(きょう)(巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)苗(なえ)麻(ま)呂(ろ)だ。)がいた、ということなのだ。 

そしてまた、この大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)(中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)安(やす)麿(まろ)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)池(いけ)守(もり)・中納言多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)三(み)宅(やけ)麻(ま)呂(ろ)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)広(ひろ)麿(まろ)・中納言大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)牛(うま)養(かい)だ。)の実子の長男の大(おお)伴(ともの)家(やか)持(もち)の実像としては、大(おお)中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻呂(まろ)卿(きょう)(坂(さかの)上大(うえのおお)忌(いみ)寸(き)大(おお)国(くに)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)奥(おく)守(もり)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)美(み)岐(き)麿(まろ)・紀(きの)直(あたい)建(たけ)嶋(しま)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)猿(さ)取(ぬし)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)苗(なえ)麻(ま)呂(ろ)だ。)なのだ。また、その義弟としては、異母妹のむこである大(おお)伴(ともの)書(ふみ)持(もち)の阿(あ)倍(べの)引(ひけ)田(たの)島(しま)足(たり)(紀(きの)直(あたい)千嶋(ちしま)・丹(たん)波(ばの)史(ふひと)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)古(こ)慈(し)斐(び)・吉(き)備(びの)真(ま)備(きび)だ。)や、その弟としては、同じ異母妹のむこである大(おお)伴(ともの)高(たか)多(た)麻(ま)呂(ろ)の阿倍(あべの)引(ひけ)田(たの)広(ひろ)目(め)(阿(あ)倍(べの)仲(なか)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)倍(べの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)・楊(や)候(この)史(ふひと)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)倍(べの)伊(い)豆(ず)丸(まる)・紀(きの)直(あたい)広(ひろ)嶋(しま)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)瀬(せ)だ。)たちがいた、ということなのだ。 

さてそれでは、大(おお)伴(ともの)道(みち)足(たり)の実像である中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)(多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)縣(あがた)守(もり)・大納言巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)難(なに)波(わ)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛野(けのの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)人(ひと)だ。)の子孫としては、その長女の麻(ま)都比女(つひめ)(大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)山(やま)守(もり)・多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)成(なり)の先(せん)妻(さい)だ。)や、また、長男の大(おお)伴(ともの)古(こ)慈(し)斐(び)(阿倍(あべの)引(ひけ)田(たの)島(しま)足(たり)・大(おお)伴(ともの)書(ふみ)持(もち)・吉(き)備(びの)真(まき)備(び)だ。)や、また、次男の大(おお)伴(ともの)駿(する)河(が)麿(まろ)(阿倍(あべの)引(ひけ)田(たの)広(ひろ)目(め)・大(おお)伴(ともの)高(たか)多(た)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)倍(べの)仲(なか)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)倍(べの)安(やす)麻(ま)呂(ろ)・楊(や)候(この)史(ふひと)麻(ま)呂(ろ)・阿(あ)倍(べの)伊(い)豆(ず)丸(まる)・紀(きの)直(あたい)広(ひろ)嶋(しま)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)瀬(せ)だ。)たち3人がいたのだ。 

そしてまた、大(おお)伴(ともの)宿(すく)奈(な)麿(まろ)の実像である多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)成(なり)(津(つ)守(もりの)連(むらじ)池(いけ)吉(よし)だ。)の異母姉としては、坂(さかの)上(うえの)郎(いら)女(つめ)がいたのだが、また、弟としては、大(おお)伴(ともの)稲(いなの)公(きみ)(多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)足(あし)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)池(いけ)雄(お)だ。)がいた、ということなのだ。 

そしてまた、大(おお)伴(ともの)歌(うたの)連(むらじ)(28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①大(おお)伴(ともの)平(ひら)彦(ひこの)連(むらじ)(孫の蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)・33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)~②大(う)人(しの)直(あたい)(孫の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)・県(あがた)犬(いぬ)養(かいの)宿(すく)禰(ね)大(おお)伴(とも)だ。)~③枳(し)都(と)(長男の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)成(なり)だ。)~④男(おと)足(たり)(娘むこの中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻呂(まろ)卿(きょう)だ。)~⑤田(た)公(きみ)(娘むこの大(おお)伴(ともの)継(つぐ)人(ひと)・菅(すが)原(はらの)朝(あそ)臣(み)古(ふる)人(ひと)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)穎(ひで)人(ひと)・巨(こ)勢(せの)野(の)足(たり)だ。)~道(みち)長(なが)(娘むこの坂(さかの)上(うえの)大(おお)忌(いみ)寸(き)田(た)村(むら)麻(ま)呂(ろ)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)道(みち)長(なが)だ。)~⑥空(くう)海(かい)(実際は娘むこだ。)たちがいた、ということなのである。 

さてそれでは、次に、『大(おお)伴(とも)氏(し)の系譜』のもう1つ、●『近世末期に編纂者不明の「系図纂要」という大部の系譜集成』を見てみれば、①高(たか)皇(み)産(むす)霊(びの)尊(みこと)(スサノオ尊・高(たか)木(ぎの)神(かみ)だ。)・・・・②天(あまの)忍(おし)日(ひ)命(のみこと)(天(あまの)村(むら)雲(くも)命(のみこと)・2代綏(すい)靖(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)~③天(あま)津(つ)彦(ひこ)日(ひ)中(なか)咋(ぐい)命(のみこと)(長男の天(あまの)忍(おし)人(ひと)命(のみこと)・3代安(あん)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)~④天(あま)津(つ)日(ひ)命(のみこと)(娘むこの天(あまの)照(てる)日(ひ)命(のみこと)・天ヒボコ命・4・5・6代懿(い)徳(とく)・孝(こう)昭(しょう)・孝安(こうあん)天皇(てんのう)だ。)~⑤道(みちの)臣(おみの)命(みこと)(長男の7代孝(こう)霊(れい)天(てん)皇(のう)だ。)~⑥味(うまし)日(ひ)命(のみこと)(長男の8代孝(こう)元(げん)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、⑥内(うつ)色(し)謎(こめ)姫(ひめ)命(のみこと)(異母妹の欝(うつ)色(し)謎(こめ)姫(ひめ)・姉の方の伊(い)是(ぜ)理(り)姫(ひめ)・内(うつ)色(し)許(こ)売(め)姫(ひめ)・神(かむ)阪(さか)姫(ひめ)・倭(やまと)百(もも)襲(そ)姫(ひめ)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、味(うまし)日(ひ)命(のみこと)(8代孝(こう)元(げん)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、雅(まさ)日(ひの)臣(おみの)命(みこと)(娘むこの大(おお)彦(びこ)命(のみこと)だ。)~大(おお)日(ひ)命(のみこと)(長男の10代崇(す)神(じん)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、智(ち)名(な)曾(その)命(みこと)(娘むこの9代開(かい)化(か)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、中(なか)名(な)草(くさ)姫(ひめ)命(のみこと)(養女の中(なか)日(ひ)女(め)姫(ひめ)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)日(ひの)命(みこと)(伊(い)香(か)色(し)男(お)命(のみこと)・10代崇(す)神(じん)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、~大(おお)売(うる)布(ふ)命(のみこと)(次男の豊(とよ)城(き)入(いり)彦(ひこ)命(のみこと)・12代景(けい)行(こう)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、乎(お)束(たば)姫(ひめ)命(のみこと)(妹の豊(とよ)鋤(すき)入(いり)姫(ひめ)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、この大(おお)売(うる)布(ふ)命(のみこと)(豊(とよ)城(き)入(いり)彦(ひこ)命(のみこと)・12代景(けい)行(こう)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、大(おお)豊(とよ)日(ひ)命(のみこと)(娘むこの彦(ひこ)狭(さ)嶋(しま)命(のみこと)・13代成(せい)務(む)天(てん)皇(のう)だ。)~がいた、というのだ。そしてまた、この大(おお)豊(とよ)日(ひ)命(のみこと)(彦(ひこ)狭(さ)嶋(しま)命(のみこと)・13代成(せい)務(む)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、建(たけ)日(ひ)命(のみこと)(荒(あら)田(た)別(わけ)命(のみこと)・大(おお)伴(ともの)武(たけ)日(ひの)命(みこと)・17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、乎(お)多(た)弖(て)命(のみこと)(娘むこの御(み)諸(もろ)別(わけ)命(のみこと)・14代仲(ちゅう)哀(あい)天(てん)皇(のう)だ。)たち2人がいた、というのだ。 

そしてまた、この建(たけ)日(ひ)命(のみこと)(荒(あら)田(た)別(わけ)命(のみこと)・大(おお)伴(ともの)武(たけ)日(ひの)命(みこと)・17代仁(にん)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①大(おお)伴(ともの)武(たけ)持(もちの)命(みこと)(娘むこの初代田(た)道(みちの)君(きみ)・18・19代履(り)中(ちゅう)・反(はん)正(ぜい)天(てん)皇(のう)だ。)~②大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)室(むろ)屋(や)(長男の奈(な)良(ら)別(わけ)命(のみこと)・23代清(せい)寧(ねい)天(てん)皇(のう)だ。)~③大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)談(かたる)(娘むこの中(なか)臣(とみの)鎌(かまの)大(おお)夫(まえつきみ)・紀(きの)韓(から)子(この)宿(すく)禰(ね)・21・24代安(あん)康(こう)・顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、③大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)御(お)物(もの)(中(なら)臣(とみの)塩(しお)屋(やの)宿(すく)禰(ね)・紀(きの)大(おお)磐(いわの)宿(すく)禰(ね)・25代仁(にん)賢(けん)天(てん)皇(のう)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、この大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)談(かたる)(中(なか)臣(とみの)鎌(かまの)大(おお)夫(まえつきみ)・紀(きの)韓(から)子(この)宿(すく)禰(ね)・21・24代安(あん)康(こう)・顕(けん)宗(そう)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)金(かな)村(むら)(長男の中(なか)臣(とみの)黒(くろ)田(だの)大(おお)連(むらじ)・27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)歌(うたの)連(むらじ)(次男の物(もの)部(のべの)麁(あら)鹿(か)火(ひの)連(むらじ)・28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)たち2人がいた、というのだ。 

そしてまた、この大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)金(かな)村(むら)(中(なか)臣(とみの)黒(くろ)田(だの)大(おお)連(むらじ)・27代継(けい)体(たい)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)磐(いわ)(次男の蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)・29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)・)・・②大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)小(お)吹(ふ)負(けい)(曾孫の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)咋(くい)子(こ)(長男の蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)・33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、②大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)久(ひさ)子(こ)(実際は孫の34代推(すい)古(こ)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)狭(さ)手(て)彦(ひこ)(娘むこの物(もの)部(のべの)尾(お)輿(こしの)連(むらじ)・30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)阿(あ)被(ひ)布(ふ)子(こ)連(のむらじ)(娘むこの物(もの)部(のべの)尾(お)輿(こしの)連(むらじ)・30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、この大(おお)伴(ともの)宿(すく)禰(ね)咋(くい)子(こ)(蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)・33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、大(おお)伴(ともの)長(なが)徳(とこ)(孫の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)・高(たか)梯(はしの)王(みこ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)東(とう)安(あん)(孫の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)・高(たか)梯(はしの)王(みこ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)馬(ま)来(き)田(た)(孫の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)・高(たか)梯(はしの)王(みこ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)兄(え)麻呂(まろ)(孫の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)・高(たか)梯(はしの)王(みこ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)男(お)吹(ふ)負(けい)(孫の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)・高(たか)梯(はしの)王(みこ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)だ。)たち5人(実際は1人だ。)がいた、というのだ。 

そしてまた、この大(おお)伴(ともの)長(なが)徳(とこ)(孫の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)・高(たか)梯(はしの)王(みこ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)だ。)の子孫としては、①大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)(娘むこの多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)・県(あがた)犬(いぬ)養(かいの)宿(すく)禰(ね)大(おお)伴(とも)・海(あま)部(べの)直(あたい)伍(い)佰(お)道(みち)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)安(やす)麿(まろ)(娘むこの多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)・県(あがた)犬(いぬ)養(かいの)宿(すく)禰(ね)大(おお)伴(とも)・海(あま)部(べの)直(あたい)伍(い)佰(お)道(みち)だ。)や、また、大(おお)伴(ともの)稲(いな)公(きみ)(孫の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)足(たり)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)宇美(うみ)なのだ。)たちがいた、というのだ。そしてまた、この大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)(多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)・県(あがた)犬(いぬ)養(かいの)宿(すく)禰(ね)大(おお)伴(とも)だ。)の子孫としては、大(おお)伴(ともの)御(み)依(より)(娘むこの中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・紀(きの)朝(あそ)臣(み)麻(ま)路(じ)だ。)もいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)伴(ともの)東(とう)安(あん)(孫の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)・高(たか)梯(はしの)王(みこ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)だ。)の子孫としては、大(おお)伴(ともの)東(あずま)人(びと)(次男の中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)の大(おお)野(のの)朝(あそ)臣(み)東(あずま)人(びと)だ。また、中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)東(あずま)人(びと)とは、中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麿(まろ)卿(きょう)である大(おお)伴(ともの)家(やか)持(もち)だ。また、物(もの)部(のべの)東(あずま)人(びと)とは、石(いその)上(かみの)朝(あそ)臣(み)諸(もろ)男(お)なのだ。)がいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)伴(ともの)馬(ま)来(き)田(た)(孫の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)・高(たか)梯(はしの)王(みこ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)だ。)の子孫としては、①大(おお)伴(ともの)道(みち)足(たり)(次男の中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)難(なに)波(わ)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)人(ひと)だ。)~②大(おお)伴(ともの)伯(おじ)麻(ま)呂(ろ)(長男の大(おお)伴(ともの)古(こ)慈(し)斐(び)・阿(あ)倍(べの)引(ひけ)田(たの)島(しま)足(たり)・丹(たん)波(ばの)史(ふひと)麻(ま)呂(ろ)・孝子(こうし)凡(ぼん)丸(まる)・吉(き)備(びの)真(ま)備(きび)だ。)~③大(おお)伴(ともの)弥(み)継(つぐ)(長男の大(おお)伴(ともの)弟(おと)麻(ま)呂(ろ)だ。)や、また、①大(おお)伴(ともの)駿(する)河(が)麻(ま)呂(ろ)(次男の阿(あ)倍(べの)引(ひけ)田(たの)広(ひろ)目(め)・阿(あ)倍(べの)仲(なか)麻(ま)呂(ろ)・初代大(おお)伴(とも)胡(こ)麿(まろ)だ。)たちがいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)伴(ともの)兄(え)麻呂(まろ)(孫の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)・・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)だ。)の子孫としては、大(おお)伴(ともの)潔(きよ)足(たり)(長男の中(なか)臣(とみの)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)牛(うま)養(かい)だ。)がいた、というのだ。そしてまた、大(おお)伴(ともの)男(お)吹(ふ)負(けい)(孫の阿(あ)倍(べの)御(み)主(う)人(し)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)国(くに)足(たり)・高(たか)梯(はしの)王(みこ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)稚(わく)子(こ)・小(お)野(のの)毛(えみ)人(し)だ。)の子孫としては、大(おお)伴(ともの)牛(うま)養(かい)(長男の中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・下(しも)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)毛(け)野(の)だ。)や、また、①祖(お)父(じ)麻(ま)呂(ろ)(次男の中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)難(なに)波(わ)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)人(ひと)だ。)~②大(おお)伴(ともの)古(こ)慈(し)斐(び)(長男の阿(あ)倍(べの)引(ひけ)田(たの)島(しま)足(たり)・丹(たん)波(ばの)史(ふひと)麻(ま)呂(ろ)・孝子(こうし)凡(ぼん)丸(まる)・吉(き)備(びの)真(ま)備(きび)だ。)~③大(おお)伴(ともの)弟(おと)麻(ま)呂(ろ)(長男だ。)~④伴(ともの)勝(かつ)雄(お)がいた、というのだ。 

そしてまた、大(おお)伴(ともの)御(み)行(ゆき)(多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・韓(から)国(くにの)連(むらじ)久(く)々(く)比(ひ)命(のみこと)・県(あがた)犬(いぬ)養(かいの)宿(すく)禰(ね)大(おお)伴(とも)・大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)大(う)人(し)・大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)路(みち)麿(まろ)・大(おお)中(なか)臣(とみの)許(こ)海(めの)連(むらじ)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)白(はく)鳥(ちょう)・蘇(そ)我(がの)日(ひ)向(ゆうがの)臣(おみ)・紀(きの)大(う)人(しの)臣(おみ)だ。)の子孫としては、①古(こ)麻呂(まろ)(娘むこの紀(きの)直(あたい)古(こ)麻呂(まろ)・中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・下(しもつ)毛(け)野(のの)君(きみ)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)・大(おお)伴(ともの)牛(うま)養(かい)だ。)~②○○(長男の紀(きの)直(あたい)建嶋(たけしま)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)清麿(きよまろ)卿(きょう)・坂(さかの)上(うえの)大(おお)国(くに)・大(おお)伴(ともの)家(やか)持(もち)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)奥(おく)守(もり)・大(おお)三(み)輪(わの)臣(おみ)美(み)岐(き)麿(まろ)だ。)~③○○(娘むこの2代目大(おお)伴(ともの)古(こ)麻呂(まろ)・阿倍(あべの)満月(まんげつ)丸(まる)・伊(い)岐(きの)連(むらじ)益(ます)麿(まろ)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)宅(やか)成(なり)・和(わ)気(けの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麻(ま)呂(ろ)だ。)~④大(おお)伴(ともの)継(つぐ)人(ひと)(長男の菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)古(ふる)人(ひと)・大(おお)中(なか)臣(とみの)諸(もろ)魚(うお)・巨(こ)勢(せの)野(の)足(たり)だ。)~⑤伴(ともの)国(くに)道(みち)(娘むこの大(おお)枝(えの)朝(あそ)臣(み)真(ま)仲(なか)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)貞(さだ)・大(おお)神(みわの)朝(あそ)臣(み)雄(お)黒(ぐろ)麿(まろ)・秋(あき)篠(しのの)朝(あそ)臣(み)高(たか)継(つぐ)・安(あき)篠(しのの)朝(あそ)臣(み)雄(お)継(つぐ)だ。)~⑥伴(ともの)善(よし)男(お)(実際は長男の伴(ともの)善(よし)男(お)だ。)がいた、というのだ。 

そしてまた、①大(おお)伴(ともの)旅(たび)人(と)(次女の多(た)治(じ)比(ひの)郎(いら)女(つめ)のむこの中(なか)臣(とみの)連(むらじ)意(お)美(み)麻(ま)呂(ろ)・大(おお)伴(ともの)牛(うま)養(かい)・紀(きの)直(あたい)古(こ)麿(まろ)・下(しもつ)毛(け)野(のの)君(きみ)古(こ)麻(ま)呂(ろ)・小(お)野(のの)朝(あそ)臣(み)毛(け)野(の)だ。)や、また、②大(おお)伴(ともの)田主(たぬし)(3女のむこの中(なか)臣(とみの)連(むらじ)大(おお)嶋(しま)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)奈(な)弖(て)麻(ま)呂(ろ)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)大(ひろ)海(み)・佐味(さみの)君(きみ)宿(すく)奈(な)麻(ま)呂(ろ)・巨(こ)勢(せの)朝(あそ)臣(み)祖(おお)父(じ)・上(かみ)毛(け)野(のの)君(きみ)三(み)千(ちち)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)難(なに)波(わ)麻(ま)呂(ろ)・上(かみ)毛(け)野(のの)朝(あそ)臣(み)広(ひろ)人(ひと)だ。)や、また、実子で4女の③大(おお)伴(ともの)坂(さかの)上(うえの)郎(いら)女(つめ)(穂(ほ)積(ずみ)親(しん)王(のう)室(しつ)・のちに異母弟の大(おお)伴(ともの)宿(すく)奈(な)麻(ま)呂(ろ)の後(ご)妻(さい)だ。)や、また、①大(おお)伴(ともの)宿(すく)奈(な)麻(ま)呂(ろ)(長男の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)成(なり)だ。)たちがいた、というのだ。 

さてそれでは、話は戻るのだが、①大(おお)伴(ともの)狭(さ)手(て)彦(ひこ)連(むらじ)(物(もの)部(のべの)尾(お)輿(こしの)連(むらじ)・30代欽(きん)明(めい)天(てん)皇(のう)・初代大(おお)伴(ともの)糠(あら)手(て)古(こ)大(おお)連(むらじ)だ。)の子孫としては、大(おお)伴(ともの)糠(あら)手(て)古(こ)大(のおお)連(むらじ)(2代目大(おお)伴(ともの)糠(あら)手(て)古(こ)大(おお)連(むらじ)・物(もの)部(のべの)守(もり)屋(やの)大(おお)連(むらじ)・32代用(よう)明(めい)天(てん)皇(のう)だ。)がいた、というのだ。そしてまた、大(おお)伴(ともの)歌(うたの)大(おお)連(むらじ)(物(もの)部(のべの)麁(あら)鹿(か)火(ひの)連(むらじ)・28代安(あん)閑(かん)天(てん)皇(のう)だ。)の子孫としては、①平(ひら)古(こ)曾(そ)(娘の甘(あま)美(み)姫(ひめ)のむこの蘇(そ)我(がの)稲(いな)目(めの)大(おお)臣(おみ)・29代宣(せん)化(か)天(てん)皇(のう)だ。)~②平(ひら)彦(ひこ)(長男の蘇(そ)我(がの)馬(うま)子(この)大(おお)臣(おみ)・33・37代崇(す)峻(しゅん)・孝(こう)徳(とく)天(てん)皇(のう)だ。)~③伊(い)能(のの)直(あたい)(娘むこの久米皇子・田(た)目(めの)皇(み)子(こ)・蘇(そ)我(がの)蝦(えみ)夷(しの)大(おお)臣(おみ)・阿(あ)倍(べの)倉(くら)梯(はし)麻(ま)呂(ろ)だ。)~④大人(うし)(次男の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)嶋(しま)・大(おお)伴(ともの)宿禰(すくね)御(み)行(ゆき)・海部(あまべの)直(あたい)伍(い)佰(お)道(みち)だ。)~⑤枳(し)都(と)(長男の多(た)治(じ)比(ひの)真(ま)人(ひと)広(ひろ)成(なり)・津(つ)守(もりの)連(むらじ)池(いけ)吉(よし)だ。)~⑥男(お)足(たり)(娘むこの中(なか)臣(ともの)朝(あそ)臣(み)清(きよ)麿(まろ)卿(きょう)だ。)~⑦田(た)公(きみ)(長男の大(おお)伴(ともの)継(つぐ)人(ひと)・菅(すが)原(わらの)朝(あそ)臣(み)古(ふる)人(ひと)・中(なか)臣(とみの)朝(あそ)臣(み)豊(とよ)長(なが)・巨(こ)勢(せの)野(の)足(たり)だ。)~⑧道(みち)長(なが)(娘むこの坂(さかの)上(うえの)大(おお)忌(いみ)寸(き)田(た)村(むら)麻(ま)呂(ろ)だ。)~⑨空(くう)海(かい)(実際は娘むこだ。)~⑨女~⑩円(えん)珍(ちん)たちがいた、というのだ。それでは、この系譜から読み取れることは、『紀(きの)臣(おみ)の系譜』や『、大(おお)伴(とも)氏(し)の系譜』は、同